こんにちは。本日の独自考察ですが、かなりぶっ飛びます。現実的ではなくなります。よろしくどうぞ!


ススキノ事件田村親子は3人とも鑑定留置されることになりました。8月28日から来年の2月28日までの半年間です。両親はこれに対して不服申立て(準抗告)をしているそうです。


この事件ですが、私は罪状の重さはズバリ

瑠奈容疑者、修容疑者、浩子容疑者の順番で、10:5:1くらいになると考えます。


これは、私の中の直観といいますか、独断と偏見と思ってもらって構いません。内側から数字が出てくるのです。

半年後の鑑定留置の結果は、瑠奈容疑者は「責任能力あり」と出るだろうと考えています。



私がこの事件に強く惹かれてしまうのは、瑠奈容疑者の怨念が気になるからです。私はこの事件に深入りするほどに瑠奈容疑者の「怨念」を感じてしまうのです。


ここで、原点に戻り事件直後の報道を思い返します。祖父の証言で

●瑠奈容疑者は極度の男嫌い

●性自認で悩んでいた(男性とお付き合いしても全くうまくいかない、もしかしたら女性がすきなのかも、という悩み)


というのがありました。


ここから考察出来ることは、

瑠奈容疑者は、男嫌いなあまり、いろんな男性とお付き合いしてみても心から好きになれる男性は出てこなかった→私は男性ではなく女性が性対象なのかも?と考えるようになった。


→思い切ってダンスクラブに行ってみる

→lgbtの女性と出会う

→瑠奈容疑者ときめく

→意気投合して2人でホテルへ

→女と思ったら男だった、しかも不同意性交されてショック😠


という顛末だったと考えます。

瑠奈容疑者にとっては、この不同意性交は彼女の潜在意識を呼び起こすほどの衝撃的事件だったと想像します。


このショックにより、瑠奈容疑者のタイムラインが切り変わりました。

(人格に影響を与える潜在意識が変わるということ)


瑠奈容疑者は、被害者からの不同意性交により瑠奈容疑者の潜在意識にあった「男性にもて遊ばれた恨みの記憶」が湧き上がってきたのです。

そして、これまで純粋培養されてきた少女の心から大人の女性に変わったのです。

父親の修容疑者は「この変化」に気づけたでしょうか?


この事から、瑠奈容疑者は責任能力あり、となるだろうと私は考えるのです。



ところで、世の中には「極度の男嫌い」「極度の潔癖症」とか言う人がいるのですが、こういう人は前世に真逆の経験があるのです。

瑠奈容疑者は、男に騙され裏切られ、弄ばれた経験があるのです。だから男が嫌いになったのです。


男嫌いになるが故に女性と付き合おうと考える。そしたら、女性に変装した男性が目の前にやってきたのですから、ここにも抗えない瑠奈容疑者の宿命を感じるのです。


Lgbtが叫ばれる昨今、世の中には、性の対象を自由に選べる人もいるかもしれませんが、選べない人もいるのです。それはカルマの仕業です。瑠奈容疑者は男性への恨みが癒やされるまで男性との縁がきれないという事です。


瑠奈容疑者は、どんなに男を遠ざけても男性との縁はきれないどころか、また弄ばれてしまったという事です。


瑠奈容疑者は「男性への怒りをコントロールする」事が人生の課題でしたが、潜在意識からくる怨念の影響から逃れる事は出来ませんでした。しかも、それどころか父親(修容疑者)に至っては、瑠奈の殺意を知り、それを止めるどころか応援したわけですから、私からみると、瑠奈容疑者は2人の男に利用されたように見えるのです。


※私の考察―――修容疑者は、瑠奈容疑者が被害者を殺害する意志を知り、それにのっかったのかもしれません。修容疑者の中にも被害者に対して「粛正したい」気持ちがあったのではないか?それは、娘を思う愛情からではなく、修容疑者の中にあるエゴ欲求から生まれたもの。


この事件は、短期的な時間の中で、人の心理が細かく、かつ、大きく動いているので、その動きをどう捉えてどう表現していくかで、裁判の流れが大きく変わると思います。検察も弁護士も言葉の使い方が非常に大事です。ですからこの裁判はゆっくり時間をかけていく方が正しい答えが出ると思うのです。



瑠奈容疑者はこれから鑑定留置に入り、しばらくは情報が更新されないようですので、私もここまで書いて、独自考察は一旦終わりにしようと思います。(多分)


以上です。

お読みいただきありがとうございました。