日本の文化では
「謙遜」が
美徳という認識があります。
でも、本当にそうなんでしょうか?
謙遜とは、
何事に対しても控えめにいること。
へりくだること。
出しゃばらないこと。
自分のことばかり主張しないこと。
日本の会社や組織でうまく世渡りしようと思うと、
相手から一歩さがってへりくだる、という
謙遜した態度は必要なこともあります。
ところが謙遜する思考回路が染み付いてしまい、
「いやいや、自分なんて」と
自分が自分に「謙遜」してしまうと「自己卑下」です。
謙遜に慣れてしまったり、ましてや無意識に
自己卑下していたりすると
人生の転機やここぞ、というチャンスの時も
自分の力が発揮できないし、
もっとひどくなると
現状に甘んじる言い訳になってしまいます。
「私なんて、転職は無理」
「自分には結婚はもう無理かな」
「部長なんて責任ある立場、私には務まらない」
こういう謙遜を通り越したフレーズを聞くと
行動を起こさない言い訳にしか聞こえないですよね?
行動をして失敗するのが怖い、
やったことないことに挑戦して、
できなくて傷つくのが怖い、といった
「自分を傷つけたくない」、という
歪んだ自己愛を育ててしまうことにもなります。
過保護な状態とも言えます。
可愛い子には旅をさせろ、とは言いますが
その逆です。
自分を過小評価しておくことは、ある意味楽なのです。
自分にはもっとできる!という認識をもつなら
新しく行動したり、挑戦したりすることが
増える。自分が変化していくことなので
それなりにストレスがかかるのも事実。
でも自分を過小評価して
現状にとどまることは
同時に自分の人生の可能性を
自分自身が狭めていることになります。
謙遜することが良しとされるのは
組織や共同体の中だけ。
政府や国、団体が個人を統制するには
ちょうどいい態度なのです。
個人よりも集団としてのあり方を重んじる
日本の社会や文化の文脈から
勝手に洗脳されているだけなのです。
でも、謙遜がよしとされる
この考え方ももう古いですよね。
自由に、自分らしく生きるには
謙遜も自己卑下もいらない。
洗脳を自分で解いて、
セルフイメージを高めた分、
現実はそのセルフイメージに同期します。
アファメーションと同じ仕組みです。
そんな簡単なことで人生が変わるなら
こんな楽なことはないですよね。
でも、実際には不思議なくらいそうなのです。
洗脳を解き、謙遜しようとする無意識の行動を変える
ものすごく簡単なエクササイズがあります。
「今日の服、素敵ね!」とか
「新しい髪型、似合ってるね」
と褒められたら
「いやいや、ほんと? そんなそんな~」
という代わりに
「そう言ってもらえて嬉しい! ありがとう」
と喜んで受け入れて感謝をするだけです。
最初は照れて抵抗があるかもしれないですが、
やってみると謙遜するよりも
褒めてくれた相手も、自分もとても
いい気持ちになりますよ。
*写真は2017年3月 網走市内にて
