編集者や小説家といった
物語の作り手は
物語を魅力的なものにするために
いかにストーリー展開をさせるか、
ということに注力します。
主人公が喜びそうな出来事を
挿入したかと思えば、
泣かせるような出来事を起こしたり、
数日間部屋から出てこられないような
絶望さえ、経験してもらいます。
でも、これは物語をより魅力的に
見せるためですし、
主人公の人格形成や
成長に必要なものだと考えます。
大きな絶望も、実は主人公のために
必要なものだった、という方向に構成できます。
つまり、編集者や小説家にとっては
主人公の経験にネガティブもポジティブも関係ない。
主人公の経験があってこそ物語が動いていく。
というフラットな視点で
物語全体を俯瞰してみているのです。
これと同じように、自分の人生を俯瞰して
見たらどう感じるでしょうか?
過去の自分の人生を振り返ってみてください。
あの時は辛かったけど、
それがあったから今がある、
という経験は誰にでもあるのではないでしょうか?
そこに、当時はなかったであろう、
いい経験もネガティブな経験も
全て経験できたことが人生の恵みになった
という気づきはありませんか?
もし、そういう感覚や実感があるなら
それは、経験が過去のものになって
自分自身が当事者でなくなったからです。
つまり過去の人生をメタ視点で見ている、ということです。
では、今苦しんでいたり、いやだなと、感じている事柄に
関してはどうでしょうか?
「なんで、こんな目に合わなければいけないんだろう」
と絶望的になっていたり
「今は辛いけど、これはきっと何かの役に立つ経験だ」
と自分を鼓舞しているなら、
メタ視点とは言えません。
特に後者の鼓舞するパターンは、メタ視点と勘違いしてしまう
人も多いかもしれませんが
これは思い切り当事者意識です。
(前者よりは人生を少し長いスパンで
捉えられてはいるかもしれないですが)
今、人生に起こっていることを
メタ視点で見る、とはどういうことでしょうか?
「ああ、Aという人物(自分自身)は今、
起こったことに対して◯◯だと感じているな」
と嫌だとか、嬉しい、とか、頑張ろう!とか思っている自分を
ただただ味わって、見つめる、ということです。
そこには、より俯瞰した視点で自分を見ている存在があります。
それも、紛れもなく自分自身です。
そして、人生の当事者意識から離れて、
その当事者を小説の中の主人公のように
見つめることを続けていくと、
「いい」とか「悪い」とか
「ネガティブ」とか「ポジティブ」とか
そいういう判断が次第になくなってきます。
ただ、感じたり、経験していることが自体が
素晴らしい、という感覚になってきます。
これこそが生きている喜びなんだと思います。
インドの偉大なる聖人である
ラマナ・マハリシは「自分とは何者か?」という問いを
徹底的に自分に問いかけるように教えています。
本で読んでいる時はあまりよくわかっていなかったのですが、
時間を重ね、経験を積んでいくなかで
おこがましいかもしれないですが、
少しだけその問いの真髄に近づけたような気がしています。
*写真は2016年9月 南インド、ティルナンダマライのラマナアシュラムにて
