WAN(ウィメンズアクションネットワーク)での9月2日の最終講義が一般公開されました。諸般の事情で講演はもう難しいと感じていたので、一般公開されたものがあるというのは、それだけでただ嬉しい。こちらから出向かなくても関心のある方にはいつでも見ていただけるからだ。その上、今回の講演動画はWANだけでなく、国立国会図書館とアメリカのコロンビア大学東アジア研究所でもアーカイブ化されるというから、なおさら嬉しい。私のホームページはアメリカ、カナダなどからのアクセスも多い。

 ただ、言い間違え(孤児というべきところ婦人と言ったり)や画像の字幕の間違え(小城市→小城子)なども多数見つかりました。ご容赦ください。

 

 上野千鶴子先生はじめスタッフの皆様にはたいへんお世話になりました。それぞれが思いを持ってWANの活動を支えていらっしゃる。素晴らしい出会いでした。

 上野先生との出会いは、何年か忘れましたが、早稲田大学所沢キャンパスで開かれた日本社会学会の時が初めてでした。先生の発表を後ろのほうで聞いていたのですが、先生の言いたいことが何なのか、さっぱり理解できぬまま、女性器の固有名詞が頭の中でリフレインしていました。

 それから何かの折に、多分雑誌記事で読んだのだろうと思う。ボーヴォワールの「第二の性」と森崎和江の「第三の性」に触れられた記事を読み、近しい感情を持った。20代、30代の頃、私も二人の本にはかなり傾倒していた。娘とフランスを旅した時は、ボーヴォワールとサルトルが議論していたであろうカフェを探し出し、雰囲気を楽しんだり、二人が夜更けまで散歩したであろう街路を散策したりした。

 また若い頃、地方都市に住んでいた私は、東京で開かれた森崎和江の講演会に参加し、講演後質問などして名刺をいただいた。そして手紙のやり取りもし、その手紙は乱雑な我が家のどこかに今も眠っているはず。上野先生は森崎宛に長い手紙を書いたけれど、出さず仕舞いだったそう。彼女の『無名通信』をWANのページに大切にアップしているのを知って嬉しくなった。

 それから色川大吉氏が力を注いでいた日本自費出版文化賞も、ご縁を感じる。2022年に幸運にも『あの戦争さえなかったら 64人の中国残留孤児たち』が大賞を受賞したからだ。

 まだまだある。春原憲一郎先生と上野先生とのご縁も。日本語ジャーナルへの1年間の連載の話を私に持ってきてくださったのは春原先生だった。春原先生は本を出す計画を知って、ご自身の懇意の出版社に持ち込む前の構成まで考えてくださった。テーマごとに対談も入れ込む予定だった。書き始めていた証言集を先に出したくて、先送りにさせていただいたが、婉曲に断ったことになってしまったかも知れない。類は友を呼ぶと言うけれど、春原先生の感性に近いものを上野先生にも感じる。

 それから上野先生から贈られた『アンチ・アンチエイジングの思想』。晩年のサルトルとボーヴォアールのリアルな老いの生活を多面的に描き、わが身に迫ってくる。

 上野先生との出会いがあって、今回、このような身に余る機会をいただいたことに感謝申し上げます。

 この講演がたくさんの方と残留婦人たちの経験を共有し、次世代に継承するよすがとなることを願ってやみません。

 

〈最終講義の概要〉
1.自己紹介 
2.大日本帝国の概観。大日本帝国の横暴な振る舞い 満州における女性の役割と支配構造
3.『年表 中国帰国者問題の歴史と援護政策の展開』の4区分に従い、残留婦人たちの経験を証言を通して明らかにする。
 3-1 第一期 戦前:中国残留婦人が生まれた背景。歴史的経緯。その特徴(家父長制)とは何か
 3-2 第二期 戦時下・敗戦後の体験(①混乱と②性暴力)
 3-3 第三期 残留 帰国への遠い日々(③結婚生活)
 3-4 第四期 帰国後の日々・沈黙と差別と偏見(国・親族が帰国を拒否)
4.考察
 4-1 歴史記述における女性の不可視化
 4-2 証言は変化するということ
 4-3 情報を鵜呑みにするな
 4-4 オーラルヒストリーから一般化することの危うさ
 4-5 中国残留婦人たちの記憶の継承

 

 

https://wan.or.jp/article/show/12101