11月8日に「一般社団法人 中国残留邦人・在日華人研究所」設立大会が開かれました。

 祝辞を仰せつかりましたが、残念ながら、よんどころない事情で出席できませんでした。代わりに、前日我が家に泊まっていた大学時代からの友人である松田五月さんに代読していただきました。研究所の設立大会は大成功とのことで、安心致しました。直前まで出席できるつもりで10分間のパワーポイント「歴史の中継ランナーとして」というテーマで用意していました。いつの日か手を変え品を変えて日の目を見ることもあるかも知れません。
 最近、時間は私に寄り添うことをやめ、足早に遠ざかっていきます。日々の小さな出来事を記さなければ、記憶は風化し、私自身の存在も薄れていくように感じます。だからこそ、瞬間を拾い上げ言葉に刻むことで、過ぎ去った時間が私の内側で重なり合い、静かな連続性となって私を支えてくれるかも知れないと思います。だから、考えたことを記録しておきましょう。                      

 以下、代読していただいた原稿です。

 

【ご挨拶】
 このたびは、中国残留邦人・在日華人研究所の発足、誠におめでとうございます。
顧問をお引き受けすることとなりました藤沼敏子です。発足式を心待ちにしておりましたが、どうしても出席が叶わず、心よりお詫び申し上げます。
 崔先生とはこれまで幾度かお目にかかり、中国残留邦人に関する取材やオーラルヒストリーについて情報交換をさせていただきました。先生の真摯な研究姿勢に深く感銘を受け、これまで私が収集してきた中国帰国者関連の書籍、約300冊を本研究所に寄贈することにいたしました。
 「寄贈」と申しますと立派に聞こえますが、実際にはいつか整理しなければと思いながら手元に置いていたものです。数年前、満蒙開拓平和祈念館に問い合わせた際には「保管場所もなく、学芸員もいないため受け入れが難しい」とのご返答をいただき、行き場を失っておりました。今回、崔先生が快く受け入れてくださると伺い、大変嬉しく思っております。中には貴重な資料も含まれており、散逸を免れ、関心を持つ方々に活用していただけることは、私にとって何よりの喜びです。
 さて、少しだけ中国残留邦人支援について触れさせてください。
この支援は、国の制度や政策に先立ち、民間の力によって動かされてきました。国の支援が十分でなかった時代、現場で奔走したのは名もなき市井の人々でした。家族のように寄り添い、生活の再建を手伝い、時には行政との橋渡しを担った方々が数多くいらっしゃいます。
 たとえば、「日中手をつなぐ会」の山本慈昭さん、中島多鶴さん、「三互会」の和泉さん、「同門会」の庵谷磐さん、「善隣協会」の藤沼さん、神奈川の郡司彦さん、「国籍を取得する会」の千野誠二さん、「春陽会」の国友忠さんなど、枚挙にいとまがありません。
「一人でも多く、故郷の土を踏ませたい」——この言葉は、支援の本質を端的に表していると思います。こうした方々の尽力があってこそ、今日の生活があります。
 また、メディアの果たした役割も忘れてはなりません。
 朝日新聞は多くの孤児の情報を粘り強く報道し続け、NHKは長期にわたる取材と放送を続け、訪日調査のたびに孤児の姿を丁寧に紹介し、世論の関心を喚起してきました。


 記録は紙に残り、記憶は人の心に残ります。
 

 その両方が揃ってこそ、歴史は未来へと語り継がれるのだと思います。
とりわけ、オーラルヒストリー——語りの記録——は、単なる情報ではありません。語り手の息遣い、沈黙、ためらい、涙、そして語られなかったことまでもが、歴史の深層を照らします。統計や制度の記述では決して捉えきれない、人間の経験そのものです。
 語りには、記憶を生きたまま手渡す力があります。沈黙を解きほぐし、問いを生み出す力があります。
 しかし、時は流れ、支援者も当事者も次々と鬼籍に入られました。私自身、30年以上にわたり278名の方々に取材をしてまいりましたが、最近は心身の不調も目立ち、また取材対象者も少なくなって、取材も難しくなっております。実体験を語れる方が少なくなっている今、記録を残さなければ、彼らの経験が歴史の露と消えてしまう——それが現在の切迫した状況なのです。
 さらに、その記録も体系的に整理されているとは言い難く、手書きのメモ、録音テープ、写真、手紙などが個人の手元に散在し、保存の危機に瀕しています。このままでは、語りを記録し、記憶する貴重な知見が失われてしまう——その危機感を、私は日々強く抱いておりました。
 そんな中での崔先生との出会いは、偶然が幾重にも重なった不思議なご縁でした。オーラルヒストリー仲間とでも申しましょうか。友人も交えて語り合ううちに、自然と同志としての信頼が育まれていきました。
 語りは、過去の出来事を伝えるだけでなく、その背後にある痛みや希望、葛藤や選択を浮かび上がらせます。それを聞いた若い世代は、「なぜこのようなことが起きたのか」「私たちは何を受け継ぎ、どう応えていくべきか」と問いを立てるようになります。
 そしてその問いは、歴史をただ知るだけでなく、自らの立場を考え、行動する責任へとつながっていくのです。
 語りは、記憶を継承するだけでなく、未来をつくる力を持っています。語りの力が、次の世代の問いを育て、責任を引き受ける力となる——私はそのことを心から信じています。
 本研究所の発足が、記録と記憶を未来へとつなぐ架け橋となることを、心より願っております。
 今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。