ごく最近、40代位かなぁ?「賢さ」が欲しいと言う人がいた。
そんなこと考えたこともなかった。
大人になっても「賢さ」が欲しいというのは、考えてみたところ、他人に認められたい、他人基準何だろう。
そんな他人基準、欲しいとも思わなかった。
自分基準にしておかないと、英仏独などの外国語で書くときに、I/je/ichが出てこない。
知識があっても文章が書けないともあったが、はるかかなた昔に、世界史の論述の問題で、分かっているのに書けないと先生に言ったら、
書けないのは分かっていないことと同じだと言われ、悔しかったから、問題集の論述問題の解答を全部書く位のことはした。
だから、今、テーマを与えられても目標の文字数だけは埋められる。
他人基準の「賢さ」よりも、自分で掴み取ぅてゆく学びだろうなぁ。
「賢さ」が欲しいと言っていた彼女、学ぶことを放棄して何を掴むのだろうか…