何か書こうと思った。


何か特定の書きたいテーマがあるわけではなく何かしらを書きたくてアプリ開いたので何書くか自分でも知らない。


ただ今は脳内にある声をそのまま言語化している。




一年10ヶ月を過ごしたワーキングホリデービザでの海外生活を終え7月の11日に帰国した、それからまだ1ヶ月も経っていない。


理由を説明するつもりは少しもないけど、自分はその海外生活でまあ色々あって当初の予定よりも早くそして突然帰国したものだから凱旋帰国とはまるで対照的でとても褒められたものではなかった。


だから"久々の日本はどう?"なんて質問に真面目に答えるのであれば少し考えるための時間が必要だな。


英語での挨拶How are you?に答えるノリで反射的に"やっぱ日本はいいよ!"みたいなことも言えるんだけど、そう言う質問には思っていることを本音で答える体になっている。


日本か、うーん、間違えなく晴々しい気持ちではないな、当初思い描いていた海外での目標を達成していないどこか強いダメージを抱えたまま帰ってきてしまった。


今は安全な場所に戻ってきて傷の修復をしていると言ったところだろうか、まずは一旦フラットに、負ったダメージが回復するまでは地道に生活をすることが今の命題なのでやる事はシンプル、そして明確。


とはいえその選択をしたことに対する後悔は少しもない、自分の実力が足りなかった、それだけのこと。


幸いなことに仕事がすぐ決まってくれたのでまた首の皮一枚で繋がることができた、まあおれの人生なんて今まででさえもずっとそんな感じなんだけどね。


傷を負ってフラフラしながらも人に助けられながらなんとか生きてきた時間が長い。



おれは論理的な人間に思われることも良くあるんだけど、物事の決定指標の全ては実は100%感情頼りだったりする。


頭で整理する、めっちゃ考える、目標までの道筋も作る、ただ最終的な物事の決定には思考やデータ、常識を一切含めていなかったりするため例えその決定にリスクや危険、損得の損が潜んでいても気にせず突き進む節がある。


決定した後は目標達成するため、そして危険を回避するためにありったけの論理的思考で物事を考え計画しそれに順じて行動する。


想定外の出来事が起こらない限りはその計画に沿って生活をするけど、時々そんな自分でいられなくなる完全に感情優位な出来事が起こったりもする。


ただ毎度そんな自分では生きていけない。


ちなみに自分が先ほどから言うリスクというのは別に馬鹿げた挑戦でもなければ高望みな願望でもなければ特別無謀な目標でもない。


自分が日常生活で誰にでも起こり得る当たり前のことに余りにも大きく生活を振り回されてしまうために敢えて"リスク"と呼んでいる。





今回、乗り越えるべき自分の人生の緊急課題として炙り出されたのは人間関係における不和に生活が破綻するほど振り回されてしまう、ということだ。


いやそれまでは振り回されない自分でいられた、何年間も安定していた自分もいたし、少なくとも今回ダメになる前の直近数年間は。


仕事も友達も家族も健康もそんなに大きく躓くことなく歩いてきた、ただまだ対応できないことがあって、それについておれは向き合わなければならない。


向き合ってないから起きたことではないな、不可抗力と言えば諦めに聞こえるけど当時の自分では抗えない何かがあった。


それは自分の外側ではなくて確実に内側に存在していて、もし何か変化を起こせるとしたらそのツマミは自分の中にあったりする。


1度目の出来事では固く動かなかったツマミ、今は上限ギリギリのMAXまで回ってしまっている。


自分の感情が暴れ回って起こしてしまった出来事に対して、今後生きていく上で絶対に乗り越えなければならないけれど、さてそれをどのように解決していこうか。





上記でも述べたようにいざ目指す場所が決まると自分は行動計画を文字におこし言語化し頭に刷り込むことを得意とする。


と言うよりそうすることでしか自分を変えることができないのかもしれない。


当時と今で大きく違うことは"一度その経験をした"と言うこととその経験をした上で"そんな自分を変えなければならないという意識が芽生えた"ということだろうか。


ただ感情優位な人間である自分が感情がブレる出来事を引き起こした場合に冷静で居られるだろうか。


その質問に対しての答えは絶対にNO、感情を論理で超えることは出来ない。ただまた同じことが起こった場合に自分を破綻させるまでにしないことは出来るのかもしれない。


それなら思い浮かぶだけの解決策を書き出してみようか。


1. リスクのある出来事自体を初めから丸ごと避ける


2. 出来事自体を避けずとも起こってしまった時点で自分がダメにならないための施策を考えておく、用意しておく


3. 回数を重ねたその実践経験から体得するために取り敢えず深く考えずに同じ類の経験に対してむしろ積極的になる



これ、本音でどれも正解だと思う。


というよりその時々で全ての対応策をフル活用して望むくらいの感覚がないと乗り越えることが出来ないと強く思う。


むしろ本来なら選びたくなかった選択肢や今までではあり得なかった解決策に対しても使うことに柔軟でいないと解決できる気がしない。


そんな事を考えずとも今回自分に自動的に芽生えた感覚は、乗り越えていくためにまた同じようなことを行う場合や同じような状況になった時に"その全てにはリスクが内在する"というもの。


これは感覚的な話なので別にわざわざ考えずとも既にそうなっている。


一度経験した恐怖を本能的に避けることは全ての動物に備わっている当たり前の防衛反応だけれど、それを理解した上でどこまでビビらずにまた同じリスクに挑戦できるか、できるようになるかというのはポイントだと思う。


リスクを丸ごと避ける、これは一時的な処置としては有効であると思う、ただ最終的に物事を乗り越える結果に直接は繋がらない。


傷の修復を行う間の一時的な応急処置の一つとして置いておこう。


もし自分がそれをいつか乗り越えなければならないとしたら先延ばしする理由はないな、可能な限り今の自分で解決しておきたい、未来の自分の大きな負担になる。


さて、次は傷が少しは癒えて徐々に動き出せるようになった仮定して考えてみよう。もしそうでないならリスクを丸ごと避けること、蓋をすること、普段取らないような少し気の引ける選択肢をとることでさえもフル活用して自分を回復させることが先決だ。


そこまで大きく精神が乱れた状態の人間に気合いも理屈も精神論も何も通用しない、今回は強く一時的な諦めが必要であると感じた。


正しい選択肢を選べるある程度正常な自分に戻るまでは変な話どんな手でも使わないとやっていけない、少なくとも俺と言う人間は歯止めが効かないから。 


長くなってきたので一度前編を終える。


























かなりデカい規模の語学学校だった。教室から寮から食堂、ジム、屋外プールに校内カフェ、自習室までまさにリゾート留学の最高峰、そりゃあんな生活環境充実してたら生徒集まるわなって感じのやり手の学校だった。


数百人はいる生徒の多くは五日間みっちりの授業のスケジュールを終え金晩から天国のような週末を迎える。


吹き抜けのロビーもバスケゴールがある外のデカい庭も門限ギリギリまで友達と遊んで帰ってきたらまだ熱気冷めやらぬ生徒たちで賑わう中、校舎のロビーで色んな知り合いにちょっかい出しながら散々ふざけ回った挙句その後フラフラとカフェの方へ。


カフェの入り口近くには先ほどロビーで見かけたら韓国人青年が。


目があった。


何のきっかけもなく突然、"日本人すか?"


一言目だけ覚えている、完全韓国フェイスの彼から流暢な日本語が飛んできたとしても驚くことはない。


知り合う前に韓国人のクラスメイト、エラちゃんから"私の友達で日本語が話せる友達がいるから今度話してみて"という話をされていたのでむしろ情報だけが先行して頭にあった、どんな顔しててどんな人物かは知らないまま挨拶されたけれど脳内の"日本語が話せる韓国人青年"という情報と目の前の青年がピッタリ合わさったので何も疑いもなく、あ、こいつだ。


もうその人なのは分かってはいたけれど話している内に話の流れからか彼の方から"俺韓国人なんですけど、"と出たのでそこで初めて


"あー君かーエラちゃんが言ってた日本語が話せる韓国人て"


サクッと話した、これは後々聞いた話だけれど彼も同じように他の友達から自分についての話を聞いていたらしくそれもあって話しかけたんだそう。


お互い話す前から人づてに情報だけを聞いていた状態、それがなければもしかしたらそこで話しかけられることもなく友達になってなかった世界線もあったかもしれないなんて思う。


なんでかって別にクラスが同じわけでもなく入学時期も余りにも遠いから共通の友人もそんなにいない、寮の部屋だって自分は一人部屋使っていたからそこで知り合うこともなくきっかけがない可能性も全然あった。


何か縁があったのかも知れないね。


一度話してからは校内ですれ違った時のヨっ友。


なんか軽く話したりしてたけど彼には年齢の垣根という概念が元々ないため6個上の自分に変に礼儀正しくなることもなく最初からバイトの先輩みたいな軽いノリで接していた。


年上からするとそっちの方が友達になりやすい、圧倒的に。


授業の合間廊下で会った時にLINEのタイムラインに貼り付けたこのブログの初期の記事読んで"あ、ブログ読みましたよ"って言ってくれたり、当時の彼と彼の彼女が校内で余りにも公にイチャついてるのみておれが突っ込んだり、お昼休み同じテーブルで飯食ったりそんなもん


その時は特に毎回一緒に遊ぶようなベッタリな友達がいたわけでもなくその時々で誘われた遊びに参加したりして過ごす人もその時その時でバラバラ。


そもそも一人で淡々と過ごしてたし。


そのうち自分がまたいつも通り少し話す仲になった彼を"今度飯でもいこーよ"なんて誘ったり。


その後程なくして留学を終えてからこの記事を書いているまさに今日までの5年以上の間ずっと連絡を取り続けるほどの仲になるだなんて当たり前だけど予期せず。


半年の留学でもそこまで仲良く関係性が続く友達に出会えたのは最後の1ヶ月半での出来事だった。


まあとにかくその後校外で一緒に遊んだその日から毎日一緒にいた。


朝おれ部屋にノックなしに歯磨きしながら入ってきてまるで自分の部屋かのようにくつろいだり、そもそも俺まだ寝てんのにそれ写真に撮って"ブッさ笑"って爆笑するそいつの声で起床したり、童貞のおれに自分も童貞って嘘ついてたのに後から"そんなわけねーだろばぁぁぁぁぁか!"とか史上最も胸糞悪い種明かしされたりなんかもう仲良くなってた。


自然にそんな関係性になってたわ、うん。


その癖自分が彼女の事で悩むと突然真剣相談してきたりしてたね、あーやっぱKenさん相談できてよかったわーとか突然敬い出したかと思えばまた戻ったり。


そんなんも心地よかったのかも知らんね。









SNSで浮気調査の探偵の広告の動画が流れてきた。

人間の闇を見ているようで怖くなってしまったのでその気持ちをそのまま。

浮気って怖いよな。



別に自分に恋人がいる訳じゃないんだけど、そんな状況考えるだけでも怖いな。

真っ直ぐ向き合ってる人にそんなことされたら人信じられなくなりそう。

おれのいう浮気ってやつは、片方が強い気持ちで真っ直ぐ向き合って信じている状態で起こる浮気。

大袈裟なんだろうけどさ、それって人の心あるのかなって思ってしまう。

適当な感じでは人と一緒になれないから、おれは病的に100か0の人間ってのもあって恋人や友達に関わらず関わってる人間てみんな100で向き合ってるんだよな。

そうしたくてしてるんじゃなくて、そういう風にしかできない。

最大のリスクであり弱点でありデメリットは何かあった時のダメージが甚大になってしまう事。

メリットや強みは関係がうまく続く限りはその関係に対する強い感謝とリスペクトを持って真っ直ぐ向き合える事、要するにその人とその関係を大切に大切に扱うという事。

気持ちが動いての浮気もあれば、性欲によるものもあるし、

どちらにせよそんなことになる前にちゃんとケジメつけて別れた後にするってだけで浮気でもなんでもなくなるんだから、みんなそうすればいいのに。

その相手が大切であれば目の前のどんな欲望よりその人を傷つけたくない気持ちが当たり前に強くあって然るべきだけど、多分そんな人らは元々相手より自分が大切なんだ。

真っ直ぐ向き合うとか相手を想う気持ち、人としての本質的な愛情の定義って例え自分が損を被ったとしてもその人のために一緒に傷つけるか、辛抱強く何かを待ってでもその関係を守ろうとするか、みたいなものだと思うんだけど浮気するような人らが大切なのはその"相手といる状態"や"自分自身"であったり"その人から受け取れる何か"なんだと思う。

おれは自分が一度大切だと認識した人たち、例えばその人らと向き合う熱量を調節するツマミがあったとしたらそれを上限MAXまで回して一番強く設定した強さでしかその人と向き合えない。まさにADHDっぽいよね。

恋心ってやつはどんなタイプの人間でも持てるけど、そこから先は恋人とか友達とか家族とか同僚とかただの知り合いとか全部ひっくるめて相手に対するリスペクトや気配り、大切な人であればその人のことを想う気持ちがあるかどうかということなんだと想う。

浮気とか平気なツラしてできちゃう人らって本質的な意味で人に深い愛情も持ったことがないと思う。

恋愛はした事あると思う、それで好きになったことも、その気持ちを恋愛からズームアウトして人としてってところまで広域してみるとまるで中身がない空のビンだ。

自分がしたくないことでさえもその人のことを思ってできるか、みたいな家族愛みたいなものを前提に人と向き合える人。

その気持ちは人によって持つことができないものなのでむしろそっちの方が希少で大切だ。

隠れて何かいけない事するみたいな世界なんて少しも知りたくないな、一切関わらないで生きていきたい。

だから他人にすぐ死ねばいいのにとか思っちゃんだおれ。

自分の感覚の方がマイノリティなのに、まるで真っ当なこと言ってるようだけどそんなことはない、ただこれはもうしゃーない。

人ってみんな違うって、さらに広く受け入れてやろうか。

少なくとも自分の考え方や感覚ってやつは他の多くの人たちの中で圧倒的少数派って意識を常に持っていると違う意見に対しては少しは腰を低くしてられるかもしれない。

うん。

無理だ、今考えたけどやっぱ無理、やっぱそういう行為に対しては正義の刀を振り翳して死ねよとか思ってしまうんだなおれは。

寝る。
弘法筆を選ばず。

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何で撮るか。これはとても大切であると思う。

そもそも機材選びや撮影後の編集にもその人物のセンスがそのまま現れるわけだから。

センスのいい人が選んだ機材でセンスのいい人が行った編集であればそれは間違えなくどれも良い写真になると思う。

"センス良い人が行えば" 良いものになるに決まってる。

その上の句を取り除いた上で、例えばその感覚のない人に鬼スペックの高級カメラとフル課金のフォトショが与えられたとしよう。

逆に良い写真は一枚も撮れないと思う。

豚に真珠、猫に小判。

大前提、土台として絶対に揃っているべきものは良いカメラでも高い編集ソフトでもMacBookProでも映えるで有名なフォトスポットでもなく

良い写真を撮ることのできる、そのシャッターボタンを押す側の誰かだ。

iPhone SEのカメラappってやつは優秀で、昔は必死こいて編集ソフトで弄っていた無数のことを指一本で撮影直後に数分、早いと1分もあれば仕上げの編集を行うことができる。

変な話Instagramに上げるのなら一番効率的でフィットしていると言える。

ただカメラとしてハイスペックかと言われると全くもってそんなことはない。

星は撮れない。ズームも制限される。細い線など細かい箇所は鮮明に映らない。

iPhoneの他の全モデルと比べてもライトユーザー向け、基本スペックのみを搭載するだけのこのiPhone SEでも撮れるんだぞ、という無言の圧と共におびただしい量の写真データを今後もこのアカウントに投下し続けると思う。

最新のiPhoneの中でも最もハイスペックなモデルを持つほとんどの人らよりも人の目を惹く魅力的な写真を撮る自信がある。

まあおれがハイスペック選んでも良いものは同じ様に撮れるんだけどさ。

絶対に必要なのは筆ではなく、その文字を書く人物だということ。

令和ロマンの優勝ってそんな感じ、何か定番のセオリーに頼ることのない実力を武器にした優勝。

好きな言葉、弘法筆を選ばず。

ちなみにここだけの話自分は他のことでは人よりもアホみたいに強い劣等感を抱えているため、少しでも得意なことには過剰な自信を持たないとやっていけないのかもれない、その説もある。





























普段の日常生活では滅多に持つことのない強い不安やストレスを抱えてしまった時はその"通常ではない心理状況"がその時期の自分の行動や言動など生活全般に影響を及ぼす。

 

そのダメージの大小に応じて比例するようにその影響も強く出たり少しで済んだり。

 

残念ながら今の自分はその影響をモロに受けている、これに関しては認めざるを得ない。ただこの記事を知り合いが見ていることを考えて心配のないようにしっかりと実情を説明しておくといま自分の頭にはこの状況を客観的に把握しているもう一人の自分が常駐していて、ダメージを受けた上で自分にそれ以上の負担をかけないようにこの"普段であればあり得ない行動"をかなり寛大に許容しあえて意識的に何もできない自分をそのまま状態に逆らわずゆっくりと休ませている。

 

要するにダメージの補修に関しては非常に戦略的に最善をとっているつもりだ。

 

世間で言われるような正論やこうあるべき、みたいなものは全て無視している、年齢的にもっと強く生きていかなければならない、みたいなものも今の俺には関係ない、俺は俺だ、笑。

 

心理状況が故に元々の目標に向けての歩みが完全に止まってしまっていること、普段では絶対に取らない恥ずかしい行動をとってしまっていること、いわゆる他人が少し心配するような傷を負った人間の行動や言動にはあえて無理に蓋をしてないというイメージだ。

 

そしてこれは意図していなかったことなんだけれど偶然にもダメージを負ったと同時にそこから一時的に時間ができた、時間ができてしまった、時間を作ることができた。

 

いろんな言い方ができるけれどとにかく一旦、ほんの2週間ほどベッドの上にただ寝転がってスマホをいじるだけの時間が作られた。

 

理由は大したことではないんだけれど自分からやめたわけではないのに2つの仕事のシフトが同時にパッと消えた。笑

 

笑えるんだか笑えないんだか笑

 

出来事が重なった。

 

新しい仕事が決まったので、今は人の助けを借りているけどこれからその期間に作ったいろんな意味での負債を修復していく、といったところ。

 

そんでそんな上手く動き出せていない極端にスローペースな今、頭の整理も納得もできていない自分の頭の中をほんの少しだけでもいいから片付けてその気持ちが少しでも軽くなっていけるように、そういつもの自分の浄化作業である言語化をこの記事にて始めた。

 

記事を書き出してみてそれがさらに自分を傷つけるようなら途中でもすぐに辞めようと思う、ただ今は試しに書き出してみるかって感じだ。

 

一つ前の記事もまさにそう、動揺した自分の心理的健康のために一つ記事を上げたんだけれどその時は狙い通りいい思考の整理ができて成功に終わったけど、今回はわからん。笑

 

さて、自分はやっぱり繊細なんだと思った。ただそれを今流行りの言い方、いわゆる"HSP"みたいなことは言いたくない。

 

これは個人的な見解としてなんかそれは言い訳っぽく聞こえてしまう。それは他人に対して何の効力も持たないというか、解釈によってはだから許せ、みたいなスタンスに捉えられてしまうリスクもあるわけで、てか自己診断だろ、とかそれぞれ何かしらみんな抱えてるだろ、とかじゃ100歩譲って他人から"だからしょうがないね"って思われて何の意味があるんだろうか、とか色々と思う。

 

というか他人からそんな今の自分をどう思われるか、ということは結構どうでもよくて大事なのはいま自分がいち早く復活してまた健康的に楽しんで生き生きと生活を送ること、それに尽きるわけだ。

 

他人からの目を気にしていないからこそこうして記事を上げているのかもしれないし。



ただ事実、俺は繊細だった。

 

それはダメージがとてつもない大きさになっていることに起因してしまっているし、小さな子供みたいに物事や人をそのまま自分に落とし込み過ぎてしまうところもそうかもしれない。

 

単純に自分の特性の一つがこのケースには相性が良くなかったというだけのこと、だとも言える。

 

その特性がよく働く場面もそりゃもちろんあるわけだから今後そんな自分を変える予定はない、ただその理由となった事実を回避できることなら回避したいとは思うけどね。

 

そんな上手くはいかないんだけれどさ、笑。

 

誰も悪くない。人間関係ってよく誰かに何々された!何もできない!みたいにいう人いるけど嫌なら立ち去ればいいと思っている。

 

仕事も恋も、例え夫や妻であっても、その状況には手放す決断をできていない自分がいることは大前提だと思う。

 

自分はいま自分の決断と思いで今の行動を選択している。

 

100%誰に制約されることもなく、自分で選んでいる道だ。

 

上手くはいっていないけど後悔がない、これまでも後悔するかしないかを最大の指標に物事を決めてきた自分にとって結果や可能性、確率よりも自分自身で納得いってるかどうか、の方が大事なんだと思う。

 

というよりその選択でしか生きることが出来ない、厄介なことに。

 

そうするとその代償に引き起こされてしまうことの一つは今回のように抱えきれないほどの傷を負ってしまう、なのかもしれない。

 

傷つくことより、リスク回避より後悔を怖がる自分なのかもしれない。

 

自分で選んだ上でしっかり傷ついているわけだからそれは自分が何事も自分の責任で、自分の意思決定次第で人生を変えていけると思っている所以だ。

 

ただそれは気持ちがついてきている場合のみではあるけどね、笑。

 

だからいつも迷いはない、不安だらけではあるけど。

 

1秒先の自分がその選択を変えるなら次はその決定に乗っかるし、その時々状況次第での最善を選んでいくと思う。

 

絶対にこうする!みたいなものは好きではない。

 

そうなれたらいいからできることはしておく、それだけ。

 

後は神の采配のみというか、縁のがあればまたどこかで繋がるだろうし、なければそのままあるがまま、物事が進んでいく流れに逆らわず身を任せて進んでいくこと。

 

けどいつも気持ちは裏腹、だから言語化して落ち着かせる。

 


うーん、やっぱ落ち着きはしないな笑

 

記事化することが効力を成さないんじゃなくて、まだ全然気持ちが現役、全盛期のイチローくらい誰の手にも追えない活躍を見せているから、今は無理だ笑

 

しゃーない、無理して力ずくで蓋なんてしたって絶対突き抜けてくるよ、もう無理好きなままでいーや。

 

1秒後すらどんな気持ちかなんてわからないけど、今この文章をカタカタと打ち込んでいる時点ではそんな感じ。

 

今なにしてんのかな。もう考えてないのかなー。

 

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