自分の書いてきた記事を時々読み返す時があるんだけど、年数が経てば経つほどその時の自分の記事が恥ずかしいことになっている


人間てやつは面白い、当時感じたことやその状況を生々しく書いてある記事を読んでいるとその感性や考え方が経過する時間や環境と共に常に変わり続けていることがハッキリと伺える


記事前半の何年間かの自分はあまりにも情熱的に人と向き合っていた、あと普通に痛い、文章から溢れ出る自称物語の主人公感が否めない、


当時出来上がった記事を読み返した時には決まって自分はまた最高な記事を書き上げてしまった。という感想がほとんどだったのに数年後に読み返すととても恥ずかしく、痛々しい


とまで言いつつ実はそれを全くもって否定するつもりはない、なんでかって当時には当時にしか出せなかった熱量という名の厨二病感があってむしろそれが色んな行動に対する膨大なエネルギーに変換されていた


そのエネルギーが捨て身で新しい環境に飛び込む行動力やモチベーションをくれた


そこで発生する日々の失敗や後悔、自己嫌悪や悲しい経験を途中経過として認識する術、次の成功に対するこだわりやプライドとして消化された


実は自分のSNSは今でも十分痛々しいのだけれど、当時の若気の至り的な痛々しさから変わり者のおっさんが社会から逸脱していく痛々しさに変わりつつある


そして結構気に入っている


結果自分は痛々しい。


ただ痛々しくないとできないことってあると思っている


他人の目を気にする意識、空気を読む力、周りの人間の意見や反応を洞察する防衛本能


全部ない


ないし要らないと思っている


他人の目を気にしないことで失われる沢山のことと引き換えに手に入れたものは自分の中の本質的な欲望や考え方により忠実になってきた自分


少し触れづらい話題にいの一番にとっついていくような、違うと思ったことに対して大きく異論を唱えるような、停滞した流れを断ち切る大胆さを手に入れた


要するに昔より更に好き勝手やるようになってしまったってことだ


側から見たら単に悪化に見えるかもしれないこれも自分からしたら立派な成長に思えていたり


昔より圧倒的に生きやすい


自分の中に太く生える幹のような譲れない考え方とか仲間に対する忠誠心とか絶対に失いたくない価値観とか


なんかその幹は昔より絶対に太くなっているにも関わらず近年は音もなく自分の中にとても静かに自生している


みたいなことを記事を読み返してて思ったけど、この記事もきっと5年後に読んだら違和感だらけ毛だらけ廃だらけなんだろうなきっと


完。