『日本文学史』古代・中世篇二(ドナルド・キーン著)には、曾禰好忠(923?-1003年?)の記述がありまして、この好忠という歌人は型破りの言語を使用して、且つは変わり者で通っており、他の宮廷歌人からもつまはじきにされていたそうです。

 

 それでも八代集の一つである『拾遺集』には九首も入集していて、歌人としての実力は存分に認識されていたそうです。ただ『古今集』の伝統や模倣から逸脱しており、保守的な歌人には狂惑の作と思われていたようです。その歌をみると、

 

  な け や な け よ も ぎ が 杣(そま)の き り ぎ り す

              す ぎ ゆ く 秋 は げ に ぞ か な し き

 

  秋 風 は 吹 な や ぶ り そ 我 が 宿 の

                       あ ば ら 隠 せ る 蜘 蛛 の 巣 が き を

 

 前句はよもぎをこおろぎの目線でみて、人の背丈ほどのよもぎを切り倒すべく植えた木であるかのように詠んだ見立ての一首で、後者はあばら家を蜘蛛の巣が覆い隠していて、秋風に破ってくれるなと依頼している歌意です。

 

 たいへん面白いもので、現代を生きる私の目からみると、決して嫌悪されるべきものでもない、つまり『古今集』の伝統からの乖離もさほど感じられない、それどころか異端とよばれる好忠も又、あるほどは『古今集』を十分に意識しているのではないかとも驚きますね。

 

 むかしの人は革新者・斬新者と聞こえても、まったく「伝統」というものを疎かには出来なかった。今人はこれをまったく無視し意に介さないよう作しておりますが。