「野心!」
彼は二言目には斯う言った。名誉心といっても済む事を彼は特に世間で賤しみ用いる「野心」という言葉を好んで使用した。
(高浜虚子著 『柿二つ』三十五頁)
「まあ其位に出来りゃええさ。どうせ俗受を主とする性質のものだから文学的に価値のある句は出来るわけがないさ。諸君は文学的俳句は上手だけれども、そういう俗受けの句になると私には及ばんようだ。例の、君が代も二百十日は荒れにけり。の類さ、おや! あれをお前お知りんのか。日清戦争前に伊藤内閣の為め続け様に発行停止を食って一箇月目に漸く解停された時、二百十日という題で古人の句などを引用した俳文を書いて、其結末に君が代も二百十日は荒れにけり、という句をくっつけて置いたのさ。ところが其が大受で、我等仲間の俳句が俗世間に認められたのは其からだと言ってもええのさ。詰りお前等にはそういう俗方面に対する手腕が欠けて居る。それは一つは政治や社会の事情に疎いのにも由るのさ。いくら文学者でも社会的に活動しようとするには、どうしてもそういう一面を有していなけれや駄目じゃ。」
彼はそういう方面にも自信を持っていた。彼の野心は独り文壇に創作や評論を提供するというに止まらず、広く之を社会的の一大勢力とするに在った。・・・・・
( 同 五十一頁 )
「余は俗世間に向って求めたところが自己の情慾を満たす事が出来ないから矢張天然界に向って求めようとする。こちらから情を以て向うと今迄は無心のようであった天然界が俄に活動しはじめて、総ての物が情を以て周囲から余に話しかける。即ち総てのものに霊があって、それが皆自分一人に向って来る。即ち余が中心に立って居て周囲を支配しているように思う。」
彼は自分が中心に立つ事でなければ何事に対しても興味を見出すことが出来なかった。彼はナポレオンでも豊太閤でも耶蘇でも日蓮でも皆彼のような人間であったろうと考えたことがあった。周囲を支配するという事の為めには如何なる苦痛でも耐え忍ぶだけの力を持っていた。が、彼の身心が疲労して来るに従って流石に人間を小煩さいと感ずることが多くなって来た。彼は動もすると、極めて柔順で少しも彼の意に逆らわぬ天然界の王者となることを喜んだ。・・・・・
( 同 百五十五頁 )
※
虚子の『柿二つ』は、私小説(写生文)です。
子規は、二十代の頃、結核性脊髄炎と診断され、殆ど寝たきりにあって、三十五で亡くなりました。
彼は東大出身(正確には中退)にあって、明治期の典型的な若者らしく、自らの立身出世を渇望しましたが、この重病そのものがそれを著しく妨害したのです。
察するに、惨めでもあったろう、悔しくもあったろう、健康な者が羨ましくもあったろう。
彼は俳諧の近代化を唱道して、欧米詩に恥じない「俳句」という名称にした。その一方で、自ら文学界の覇者となることを強く願望したのであります。
その一つの目標として、突として当年の月並宗匠に言い掛かりをし、松尾芭蕉らを罵倒したのです。