近代明治に転入して、和歌や俳諧を西洋の詩と同列の、何も遜色のない詩歌に昇格したがったのでしょうか?おそらくそういう心持もあったのだと思われます。
しかしそんな事する必要もない。俳諧は西洋文芸に接近することは出来ません。別に近代・現代「芸術」などと呼ばれなくともよい。
そのような活動や運動をするから、俳諧が益々詰らなくなったのです。
灰 捨 て 白 梅 う る む 垣 根 か な 凡 兆
此句は、家人が日毎、老梅の根元に灰を捨てて肥しとし、次第に白梅が潤んでツヤが出てきたことに十分満足をしてこれを眺めている、という意でまず間違いないと思われます。
ところが、今のは、根元に灰をぶちまけ捨てると、それが舞い上がってけぶった白梅が潤んだようにみえる、という一瞬間を切り取ったもの、という解が大勢です。
こう解釈するほうが、「感覚的」・「印象的」で、現代の詩歌標準として相応しいものと看做すからでしょう。
が、この句意は違います。
旅 せ む と 思 へ ど ね む し 春 の 雨 凡 人