鞍 置 け る 三 歳 駒 に 秋 の 来 て            芭  蕉

      名 は さ ま /\゛ に 降 り 替 る 雨          珍  碩

 

 「三歳にもなった馬が騎乗できるよう鞍が置いてある。この秋が来てすっかり一人前になったものよ。」という芭蕉の句に、

 珍碩が、成長のはやき馬に、月日の経過の速さ、つまり「無常迅速」を感受して、「そう云えば先生、同じ降雨だって、わずか三月の周期で、春雨と云い、五月雨と云い、また秋雨と云い、寒の雨と云う。また夕立と云い、秋の村雨と云い、しぐれとも呼びます。四季の巡りというものも同様に実に早いものではありませんか。」と返しております。

 近現代の「俳句」というものは脇句を切り捨てしまって「独白」のみの詩歌に変貌しましたが、それ以前の「対話」の詩歌という姿態がみえます。