・・・『文選』は、たしかに完成度の高い優美な詩を収めていたが、詩的真実より技巧で知られた詩文集であり、その技巧が和歌に(とくに『古今集』の歌に)災いする。たとえば、向こうに見えるのは雪か梅の花か、雲か桜に覆われた山か。そんな歌人の迷いを詠んだ歌は多く、そこに明らかに『文選』の影響が見てとれる。これら「みやび」を理想とした歌の世界では、見苦しい事物を詠んで表現を汚すことは許されなかった。ヘレン・C・マカラは、『文選』の詩の数編を例にあげながら、そこには「歓喜の声、怒りの爆発、絶望の叫び、刺すような風刺はない」と評している。『文選』の伝統にのっとって詠まれた和歌はもちろん、以後一千年の日本詩歌の多くにも同じことがいえる。歌人は感情のあからさまな表現を避けた。・・・

 

            (ドナルド・キーン著 『日本文学史 古代・中世篇二』)

 

※ 日本の古い詩歌の基底には、かならず「風流」というものが滔滔として流れているものです。そこの所が外国人にはまったく分からない。いまの日本人も同様でしょうが。