・・・けだし芭蕉は俳句は簡単ならざるべからずと断定して自らの美の区域を狭く劃(かぎ)りたる者なり。芭蕉既に此の如し。芭蕉以後言ふに足らざるなり。

 蕪村は立てり。和歌のやさしみ言ひ古し聞き古して紛々たる臭気はその腐敗の極に達せり。和歌に代りて起りたる俳句幾分の和歌臭味を加へて元禄時代に勃興したるも、支麦以後漸く腐敗してまた拯(すく)ふに道なからんとす。是において蕪村は複雑美を捉へ来りて俳句に新生命を与へたり。・・・

 

            (正岡子規著 『俳諧大要』岩波文庫「複雑的美」より)

 

※ 芭蕉は単純に作句せよと指導して、子規は蕪村に倣って複雑に叙すべきだと云います。もう作句法については真逆の考え方であります。また芭蕉の連句は面白いが、蕪村のはそうでもないという評も少なくありませんが、複雑的に作れば連句の生命である「変化」に乏しくなります。子規はこの「変化」というものを嫌い、終に連俳を非文学だと極め付けます。

さらに私はこう考えます。実は複雑的に叙する法が初心で、慣れてしまえば沢山作りやすいものです。

 

    春 の 雨 い く ら な が む や 二 三 日        ぼ ん と