・・・明治維新の騒乱もこれらの俳人(※子規らのいう月並派)の心の平穏に大した影響を与えなかった。江戸の平和を三百年ぶりに乱した、官軍と幕府との上野の戦いは鳥越等裁(一八〇三~九〇年)に次の句を作らせている。

  

  耳 と ぢ て 花 を こ ゝ ろ に 午 睡 哉

 

 作者はこの句によって、静かに自然を眺める心を邪魔するものへの反発を表したつもりだったのかもしれないが、いかにも俗な現実を超越していると言わんばかりのこの耽美主義的な態度は魅力のあるものではない。同じ頃、穂積永機は「上野の戦場を遁れ出て」という前書を添えた次の一句を詠んでいる。

 

  血 を 流 す 雨 や 折 ふ し ほ と ゝ ぎ す

 

 ほととぎすは伝統的に血を吐く鳥とされている。永機がこの血なまぐさい俳句にほととぎすを使ったのはそのためだろう。・・・

 

            (ドナルド・キーン著 『日本文学史 近代・現代篇』より)

 

※ 月並派と蔑んで「風流ぶる」「脱俗ぶって」嫌味などというが、こういう句〃は少なくとも中世の伝統意識を継承しているものである。何もわざとらしく「ぶっている」 のでは無いのではあるまいか。