・・・こうした新状態の下で、私はインフレ問題を中心に考察した株式評論をやったが、いつのまにか戦前からの相場のベテランよりも、はるかに高い的中率をおさめることができた。読者からの信頼も日増しに高まってきた。ついでながら、私は本来の経済研究に専念するため、昭和三四年限りで株式評論の筆を折ることにしたが、ここでの問題点は、なぜ新米の私の株式評論の方が、長い経験をもつ本来のベテランよりも、より的確な評論ができたのであろうか。

 その理由は明瞭である。戦後の株式相場は、ベテランたちが育ってきた戦前の株式相場とは基礎事情が一変していたのだった。そこでは、従来の経験や理論がじゃまにこそなれ、一片の役にも立たなかった。その点、私にはその経験もなければとらわれる理論ももっていなかった。新しく変わった現実と取り組んで研究するほかなかった。それをふまえて、過去の経験にじゃまされることなく、新事態に即して見通しをたてることができたことが、幸いしたのである。

 このように、世の中に大きな変化が起ったり、あるいは徐々に起った変化でありながら、ふりかえってみるとその幅が大きかったというような場合、従来の体験と理論にとらわれると、それがむしろじゃまになることが、よくおわかりいただけたと思う。・・・

 

                   (高橋亀吉著 『私の実践経済学』より)