・・・私は、大企業のサラリーマン生活はむしろ初めてであった上に、私の生活の周辺にはそうした人もなく、サラリーマン生活の見聞自体さえ、何も知っていなかった。さて、サラリーマンになって、落ちついてものをみるようになってから痛感したことは、第一は、その適材適所に置くという配慮は薄く、特に入社早々の新社員に対してはそれが甚だしく、本人の適正よりは欠員あるところに配慮され、それが一生を大きく支配するということであった。第二は大組織の下では当然であるが、自主的に働く余地は極めて限られ、大部分は上役の指示通りにやらなければならないことであった。私のように、店員時代、自主的に働き、そこに生き甲斐をすでに感じてきた者にとっては、これは身分上の圧迫感として作用した。第三は時間の自由が殆どないに等しい、という苦痛であった。というのは、なるほど勤務時間と休日とは決まっている。しかし、いつ、居残りを命ぜられ休日出勤を要求されるかも知れないのである。真面目にこれを考えると、完全に自分の時間というものはなく、退勤後や休日もウカツに人と約束もできないということになるのである。規定の時間外勤務、ということそれ自体を嫌っていたわけでは決してなかった。担任の仕事の関係上、その必要がある、ということが自分で判断されるのであれば、私の性質上、自主的に喜んでこれをやったであろう。問題の焦点は、上役の判断一つで、他律的に制約されるということであった。むろん、仕事そのものは、朝鮮の店員生活当時に比すれば少なからず楽であったが、しかし、サラリーマン生活で「発見し」、痛感したことは、「自主性」とか「自由」とかいうものに対する多大の制約である。・・・

 

          (高橋亀吉著 『私の実践経済学はいかにして生まれたか』)

 

※ 大正期の話であるが、いま読んでもまったく違和感がありません。「自主的」「自

    発的」などという言葉が身に沁みます。

 

     寒 椿 な に 咲 き た る と 思 ふ と き                        ぼ ん と