・・・ここで私は、何かに自信を持つということが、人生の航路でいかに重要であるかを、ツクヅクと思うものである。反対に自信を失うと、自分の実力さえも発揮できないことを、後日、私が早稲田時代に体験したことがある。それは、小学時代の同窓が中学を卒えて大学に進んだが、その両親が私の傍らに置く方が本人のタメになるつもりで、私の下宿に同宿さしてくれと頼んできた。さて、半ヵ年ばかり一緒にいると、彼は逆にスッカリ自信を失って、大学を中途退学してしまった。私は悪いことをした、といまでもこれを悔いている。要するに、私が三十分で理解することを、彼は一時間費やしても十分理解できないことを、毎日体験して、スッカリ自信を失ったのである。しかし、大学が卒業できないほどでは決してなかったのである。この体験から、私は、いい中学や高等学校に通わして、中位以下の成績に置くよりは、一段落ちた学校に通学さして上位にあって自信を持たしうる方が、本人のため、どれだけタメになるか分からないと思うたのだ。

 また、何かに自信を持っているということが、その人を落ちつかせ、朗らかにしているかを、私は早稲田時代の親友を通じて知った。彼は学校の成績は中位であったが、能楽の太鼓においては素人離れに秀でていた。現に時々は本式の舞台でも打っていて太鼓においては人に敗けない自信を持っていた。この自信があるので、彼は大学の成績が中位程度であっても、人にヒケ目を感じたり、劣等感につかれたり、しないでいられると私に述懐していた。ついでに、この親友は学校の時間の余暇に、私に謡曲をしきりに教えてくれたが、私は音痴で遂に駄目だった。

 自信を持つか、否かということは、個人のみでなく、国の場合でもそうだ。国民が自信を持っているか否かが、国の盛衰を左右することが少なくない。それは事業においてもそうだ。・・・

        

        (高橋亀吉著 『私の実践経済学はいかにして生まれたか』より)

 

※ 高橋亀吉さんの経済評論も大変魅力あるものですが、それに劣らずに自伝も示

  唆に富んで面白いものです。高橋亀吉氏は、昭和期に天才エコノミストと謳わ

    れた人物です。