尾崎放哉という人は自由律俳句の詩人です。自由律といえば、まず放浪に暮らした種田山頭火も著名です。放哉は、第一高等学校卒業したのち、東京帝大法学部を経て、一流保険会社に勤めていましたが、ある日突然退職してしまった。その理由は不明らしいのですが、のちはお寺を転々として、寺男のような仕事をしながら、句を作ったそうです。それで生涯を終えた。

自由律俳句というのは、五七五の定型を守らず、季ことばも無く、俳句の形式には無頓着にして、俳句というよりは、むしろ呟きのような、わずか一行の短詩のようなものです。

当初、放哉も有季定型の俳句を作っておりました。私の手元に放哉の句集がありますが、自由律以前は、

 

   よ き 人 の 机 に よ り て 昼 ね か な

   寒 菊 や こ ろ ば し て あ る 臼 の 下

   旅 僧 の 樹 下 に 寝 て 居 る 清 水 か な

   冬 の 山 神 社 に 遠 き 鳥 居 か な

   炬 燵 あ り と 障 子 に 書 き し 茶 店 哉

   秋 日 和 四 国 の 山 は 皆 ひ く し

 

等々、良質の句とは思いますが、あまり面白くはない。ところが、自由律以後になると、

 

   一 日 物 云 は ず 蝶 の 影 さ す

   咳 を し て も ひ と り

   足 の う ら 洗 へ ば 白 く な る

     入 れ も の が な い 両 手 で う け る

   そ う め ん 煮 す ぎ て 団 子 に し て も 喰 へ る

     日 へ 病 む (?)

     天 井 の ふ し 穴 が 一 日 わ た し を 覗 い て 居 る

 

などと、一度読んだら先ず忘れられなくなる。俳諧の伝統というものを全く無視しておりますが、放哉は、規則というものに縛られるのが殊に嫌な質なのでしょう。自由律を選んで初めて個性が際立ってきたような感じです。

わたしは自由律を俳句だとは認めていませんが、放哉や山頭火には著しく興味もあります。