前から料理は好きだったのですが、最近またちょっと余計に好きになりました。

自分で一番感じる変化は、献立をしっかりと決めずに食材を買うようになったということです。

以前は、今週はカレーライスと豚汁、あと麻婆豆腐、といったように、あらかじめ作る料理を決めて、それに向けて食材を買い揃えていました。

しかし最近は逆で、旬で安くて美味しいもの、食べたことはないけど美味しそうに見える野菜など、最初に材料ありきで、それを見て料理、というか調理方法を考えるようになりました。

なんと言うのでしょう、多分、基本的な調味料や調理の仕方などはだいたい決まっていて、そんなに複雑なものを作るよりも簡単な味付けにした方が美味しく食べられる(ように感じてきた)という風に変わってきたのかもしれません。

それと、より丁寧に作るようになったなと思います。

例えば、野菜の切り方でも、切り方一つで味が変わるんだということを実感してからは、食べやすいように、大きさや形を揃えて切るようになりました。

葉物を茹でる前は吸水させる(そうするとシャキッと茹で上がる)、ハンバーグに混ぜる玉ねぎはキチッとみじん切りにする、みそ汁に入れる豆腐は食べやすいように小さくさいの目にする、油揚げは使う前にお湯に通して油抜きをする。

今までおろそかにしていた、ほんのちょっとの手間を丁寧に行うことで、大分味が変わったと思います。

我ながら、だんだん益々小っちゃくまとまっていっているような気がしますが、身の丈にあっているように感じます。




心理士の仕事も三年目で、必死に毎日を過ごしていると、それでも、心理面接というものの力や可能性をそれなりに信じられるようになってきます。

科学だろうが、超常現象だろうが、自分の目の前で起こること、自分自身が実際に体験することが、本人にとってとても説得力があるように、その心理面接で起こることを目の当たりにすると、自分としては、心理面接というものがもつ力を信じられるようになる。

効率や表面的な因果論だけではうまく成り立たないけど、でもそれでも、やっぱりこの世界に存在することや流れが確実にあるということ、そんなことを身をもって実感できることで、自分の人生自体は、確実に豊かになっているなぁと思います。

そんなこととどこまで関係あるのかはわからないけれど、料理用に買った高清水を呑み、胡瓜にみょうがを混ぜて拵えた漬物を食べていると、安上がりだけど充足された気分になります。

お盆ですね。
これは、村上春樹さんの『1Q84』だったと思うけど、


人と人は、話し合う前から、すでにその相手の言いたいことがわかっていないと、相手の言葉を聞いても納得することはできない

というようなことが表現されていました。


それを読んだときに、本当そうだよなぁと、とてもハッとさせられ、そしてその後も、日常生活のなかで、幾度もこの思いを噛みしめています。


相手の話を聞いて同意できたり、納得したりするためには、すでに相手と同じ視点というか、立ち位置に立ち得ていないとできないものだ、と自分自身思います。


ということは、話し合って分かり合うとか理解し合うというけど、それは分かり合える相手は、話し合わなくてもすでに分かり合えている、理解し合えているということなのだと思います。

現実世界において、人は何事か決断したり、選んだりしなければならず、そのためには、いずれに偏った方向をもっていなければならない。

そうすると、おのずと個々の相違というのは作られてしまうわけで、分かり合える仲とそうでない仲というのが出てきてしまいますね。

自分が正しい、独善的な人であればあるほど、人との溝は深くならざるを得ないのでしょう。