僕の特徴の一つに、よく物を無くす、ということがあります。

いえ、正確には、「無くしたと思って慌てた後に、思わぬところから見つかってホッとする」ということがたびたびがあります。

なかでも家の鍵はこの数年で何回も無くし、何回も探して見つかりました。

ある時は、一日中出かけた後に鍵が無いことに気づき、その日に行った公園、駐車場、パン屋さん、薬局…などを翌早朝から尋ね歩き、結局お昼頃に「落し物として届けられていました」と薬局の方から連絡をもらい、ホッと胸を撫で下ろした、ということもありました。

そうやって、何回も無くしたと思っては見つかるということを体験すると、鍵が無くなっても、(しまった、また無くなった!)という焦る気もちと同時に、(いや、きっとまたどこかにあるだろう)という安心感も感じるようになりました。

つい先日も、帰宅して、いつも鍵を入れているバッグの内ポケットに、あるはずの鍵がないということがありました。

またか…と通勤した車の車内を丁寧に探したところ…、ありません。

あれ、車の中に無いとなると…、パッとひらめいたのは、その日着ていた上着のポケット。

家に戻り、上着のポケットの中を探ると、案の定、鍵が出てきました(鍵を無くし慣れると、だんだん自分がどこに入れて忘れているか、ということも学習していきます。普段と違う行動をしたことを思い出すのがポイントです)。

そして、いつも通り、ホッと安堵したのですが、いつも思うのは、探して見つかった時に感じる達成感と喜びです。

冷静に考えれば、無くしたと思った鍵があった、ということで、実際には何か増えたり、利益が生まれたわけではありません。

でも、一旦マイナスになったと思ったものが出てくる、プラスマイナスゼロの状態になったというだけで、こんなにも嬉しい気もちが感じられる、というのが、人間て面白いなぁ、俺って安上がりだなぁと思ってしまいます。



 ここ一か月間ほど、ほとほとしんどい状態が続いていて、ようやく回復の兆しがみえてきました。

 発端は、布団のシーツを秋冬用に換えるとき、ホコリアレルギーであるのに、それを水洗いせずにそのまま使ってしまったこと。

 案の定、翌朝起きた時には、のどがガラガラ、鼻水がズルズルで、一気に風邪をひいてしまいました。

 そしてそれが思いのほか長引いてしまい、しつこい咳が止まらず、始終ゴホゴホとせりあがってくる。

 特に、横になると息苦しさが増し、これはぜんそく発作が久々に出たかな、まぁそのうちおさまるか…と、息苦しいなかで考えていたのですが、一向におさまる気配がない。

 そうこうしているうちに、目の周りがヒリヒリしてきて、あれよあれよと思う間もなく、眼の下がドロドロにただれてきた。

 眼医者に行くと、「眼部ヘルペスです、疲れた時に出ます」とのこと。

 そんななか、子どもの運動会の親子競技に参加した翌日、良くありすぎるパターンで恥ずかしいけど、腰痛を発症。

 痛くて歩けない状態になってしまいました。

 その後、風邪の方はさすがに内科を受診し、強めの抗生剤をもらったら一週間ほどで息苦しさが抜けてきました。

 ヘルペスも薬がよく効き、今は目の下に少し赤みが残るくらい。

 腰も一週間ほど経ち、なんとか通常歩行ができるようになってきました。

 いずれも取るに足らぬ症状で、俺なんかより大変な状況の人はごまんといる、とは思いつつも、それでも自分の体の弱さ、もろさに、俺はこの体を引き受けていくしかないんだなぁ…と思います。

 とりあえず、体調がもう少し回復したら、ジョギングを週末だけの一回から、せめて週二くらいにはしようと思っています。

 皆さんも、時節柄、お体を大切に。







ある日、音楽を聴きながら歩いていると、ふいに特定の人物のことが思い出されました。

その思い出した時の光景は、半年経った今でもよく覚えていて、晴れ渡った青空のもと、街中のくねくねと蛇行する下り坂を、僕はてくてくと歩いていました。

対向車線の歩道には、一人、坂を上ってくる女性が歩いていました。

そんな、ごくなんでもない、ありふれた日常で、どうしてその人のことが想起されたのかは、僕にもよくわかりません。

ただ、そのきっかけになったのだろうと思われるのは、その時に聴いていた音楽です。

それは、ノラ・ジョーンズの『seven years』という曲。

あまりにも脈絡なく突然のことで妙に気になってしまったので、その歌詞を訳してみました。

そうしたら、その歌詞の内容と、以前その人物から聞いていた幼少時の思い出とがかなりの近さで重なりました。

多分に偶然、というか、もしくは曲自体は全然関係がないのかもしれませんが、それでも奇妙なつながりに、一人で少し驚いてしまいました。