グリークラブアルバムの研究 32-37 収録曲編(2) | とのとののブログ

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グリークラブアルバムの研究 32-37 収録曲編(2)

 

Lord, I Want To Be A Christian 三沢郷編曲

 大変シンプルな歌詞。「主よ,私は心からクリスチャンになりたいのです」を繰り返す。2番以降もこのパターン。

 さて,「黒人霊歌とは何か」について,狭義には「黒人奴隷たちが自発的に歌っていたもの。それを採譜したもの。採譜をもとに編曲したもの」になる。広義には,すでに述べたように,作曲家が分かっているものもある。この曲もそうで,長老派の白人牧師Samuel Davies(1723-1761)が作曲者とされる。

 

以下はリンク先の項目を翻訳したもの。

https://archive.org/details/companiontohymna00geal/page/274/mode/2up

18世紀の記録によると,1756年に(現在の)バージニア州 ハノーバー郡の一人の奴隷が,長老派の牧師ウィリアム・デイビスのもとを訪れ,こう依頼しました。
「イエス・キリストと私の神への義務について,良いことを教えていただきたく参りました。私はもうこれまでのような生き方をもうするつもりはありません。」つまり,「主よ,私はクリスチャンになりたいのです」と言うことです。


 マイルズ・マーク・フィッシャーの『アメリカ合衆国の黒人奴隷歌』によると,デイビスは1748年から1759年の間にバージニア州で布教活動を行っており,1756年の奴隷の依頼と一致していることから,この曲がハノーバーで生まれたのはほぼ確かでしょう」

 引用では「ウィリアム・デイビス」となっているが,ほとんどのサイトで「サミュエル・デイヴィス(Samuel Davies)」となっているので,こちらが正しいらしい。

 サミュエル・デイヴィスは奴隷への伝道と教育の普及に努め,奴隷たちのspiritual equalityは信じたが,少なくとも二人の奴隷を所有していた。この姿勢は,「奴隷制は政治問題であり教会の問題ではないとする当時の長老派教会の教義と一致していた」とあり,本人の中では矛盾がなかったらしい。

 繰り返し出てくる「in a my heart (心のなかで,心の底から)」は,ある解釈によると「奴隷所有者の偽善に対する声明と見なすのが妥当でしょう。彼らは,(キリストの教えを)口にしながら,奴隷をひどく残酷に扱います。日曜日の朝に教会に行き,奴隷に聖餐を与えた所有者が,その日の午後か翌日に奴隷を殴りつけるというのは,残酷な皮肉です。奴隷たちが『もっと神聖になりたい』とか『イエスのようになりたい』と歌うのは,(白人のように表面的なキリスト教徒ではなく)キリスト教の真の教えに従うという彼らの意志を強く表現してます」とある。

 「in a my heart」の繰り返しは,「この霊歌がコール・レスポンス方式で歌われたことがうかがえる。つまり,ソロが各節ごとにテキストを少しずつ変えて歌い,集まった人々はすべての節を通して変わらない形で合唱した」ことも意味する。

 

 解説サイトによれば,「音楽と歌詞は,1907年にフレデリック・J・ワークが編集した『Folk Songs of the American Negro』に初めて掲載された*」とある。「Great Day」と同じ歌集。黒人霊歌の合唱曲集として古いものではないけれど,初出の曲が多いらしい。

* https://www.umcdiscipleship.org/resources/history-of-hymns-lord-i-want-to-be-a-christian

 Workの楽譜とグリークラブアルバムの三沢郷編曲の楽譜を示す。

 Work版では,3番の歌詞が「I don't want to be like Judas」とあるが,この3番を削除し全4番とした版は讃美歌集に多数収録されている。大抵の編曲はシンプルだが,The United Methodist Hymnal‎402番に,William Farley Smithによる「他のほとんどの賛美歌集の全音階バージョンよりも高度な半音階を取り入れ」た編曲で収録されているらしい。有料のため楽譜は参照できなかった。

 三沢の編曲は,クレッシェンド・デクレシェンドが演奏会用を示しているが,男声用として歌いやすく整えられてる。さすが福永の信頼厚いアレンジャーだけれど,これと同じ楽譜を見つけた。引用部以降も同じ。Charles A. Gravenhorstの編曲とされており,三沢の元になった編曲かと一瞬思ったが,この人は1956年生なのでそれはありえない。考えられるのは,この2つの元となった別の編曲があるのか,または,Charles A. Gravenhorstが三沢の編曲を盗用したことだけれど,普通に考えると前者だろう。それは見つけられなかった。

 

 この曲は戦前に西南学院グリークラブが歌っていた可能性がある。昭和17年頃に「Negro Spiritual」を歌ったとされ,その文章のタイトルが「Lord, I want to be a Christian」となっている。演奏会では「O Marry Don't You Weep」「Swing Low」を歌っている。

 

I Couldn't Hear Nobody Pray 三沢郷編曲

「ああ,誰の祈りも聞こえなかった,ああ、誰の祈りも聞こえなかった,はるか遠く自分ひとりで,ああ、誰の祈りも聞こえなかった。
谷の中で,ああ,誰の祈りも聞こえなかった,ひざまずいて,ああ,誰の祈りも聞こえなかった,重荷を抱えて,ああ、誰の祈りも聞こえなかった,そして救い主と共に,ああ,誰の祈りも聞こえなかった,ああ、主よ!」

 

 なんとも悲痛な歌詞。黒人霊歌には一人で信仰に向き合う「深い孤独」を歌うものがある。「Were You There?」の「彼らがイエスを磔(はりつけ)にしたとき,おまえはそこにいたのか?」の問いかけもそうで,若い頃は気にならなかったけど,歳を取るとこんな歌詞が心に刺さる。

 この霊歌も,黒人奴隷達のために祈ってくれる人の声は聞こえず,孤独と絶望を感じつつも,神が彼らとともに歩んでくださることを信じ,神への信仰に向かい合う,静かな厳しさを歌っている。

 

 グリークラブアルバムや最近の演奏は速いテンポで歌われるが,1909年にFisk University Jubilee Quartetが歌った録音*では,もっとゆっくり切々と歌われる。彼らの録音では,どの曲も現在の歌い方よりゆっくりしている。アフリカ黒人たちの独特なリズム感や速いテンポの民謡を聴くため,黒人霊歌もそんなテンポで歌われたと思いがちだけれど,18-19世紀の霊歌はもっとゆっくり歌われたのではないか。白人たちから隠れて歌っていたので,あまり「騒々しい」歌い方はできなかったと思う。なお,この録音にはJohn Wesley Work III(息子のほう)が参画している。

* https://archive.org/details/78_i-couldnt-hear-nobody-pray_fisk-university-jubilee-quartet-j-w-work-n-w-rider_gbia0054040b

 おそらくこの曲も古くから歌われたのだろうが,みつけた最も古い楽譜は1904年のものでFrederick Workの「New Jubilee Songs」に収録されている。 Work Brothersの出版楽譜である。そのあと1909年の「Religious Folk Songs of the Negro as sung on the Plantations」などたくさんあるが,下部の注釈を含めFrederick Workの楽譜が元になっている。

 注釈の1は,LEADERがコーラスを追いかける「O Lord!」は例として音符が付けられているが,LEADERの感情(の高まり)によって替えて良いとするもの。コーラスは基本的に「I Couldn't Hear Nobody Pray」しか歌わないので,LEADERがリードする必要がある。

 2つ目は3番の歌詞Hallelujah!の節は「ゆっくりと,他の部分の倍のテンポで歌うこと」と指示されている。しかし,「リフレインからは元のテンポに戻すこと」とされる。

 三沢の編曲は,歌い出しに16部休符をいれ最初からリズミカルに歌わせている。LEADERが歌う部分をトップとベースに振り分け(楽譜は引用せず),掛け合いを立体的に聞かせている。

 

 国内では昭和27(1952)に関西学院が最初に歌った。翌年も歌い,ついで早稲田大学グリークラブが歌っている。楽譜は不明だが,曲名を「Couldn't hear nobody pray」とも記しており,このタイトルで収録している1918年にSchirmer社から出た「Hampton Series」の「Negro Folk-Songs」かもしれない。黒人霊歌の男声四重唱編曲が4曲収められている。

 調査中に,この曲が使われた映画「バース・オブ・ネイション(The Birth of a Nation)」を見つけた。1831年に黒人奴隷ナット・ターナー(Nat Turner)が起こした,アメリカ史上最大の黒人奴隷反乱の実話に基づく映画。日本未公開だがamazonで有料で視聴できる。

 映画ではあるけれども,19世紀初めの黒人伝道師(ナット)と奴隷たちの集会の様子,白人農場主がいかに彼を利用したかが描かれ分かりやすい。映画中「Swing Low, Sweet Chariot」が歌われるシーンがあり,黒人霊歌はこんな感じで歌われたのかなあと思わせる。「I Couldn't Hear Nobody Pray」は映画のエンド・ロールに使われるが,かなりゆっくりと歌われる*

* https://www.youtube.com/watch?v=jrJNMEzFVXI

 

 以上がグリークラブアルバム(赤本)に収録された5曲であり,福永曰く「黒人霊歌の入門編」になる。福永はどんな意図で入門編と考えたのだろうか? 再掲になるが,東京コラリアーズが歌った黒人霊歌をまとめたのが下表。調べられた範囲のこと。曲集の①は「東京コラリアーズ合唱曲集1」,Fは福永がホッタ楽譜から出した黒人霊歌集,G3は「グリークラブアルバム3」。

 「祈り」と訳されている「Standing in de Need o' Pray」は「It's Me, O Lord」と基本的に同じ曲。グリークラブアルバム(赤本)に収録した5曲のうち,これ以外は歌っていない。選曲の意図は分からないが,結果的に現代では歌われない曲が選ばれた。演奏会として効果がある曲というより,黒人霊歌の形式と精神性を理解するための曲が選ばれているように思う。

 

 最後に,私が初めて聴いた黒人霊歌「Soon a will be done」の初出譜。1907年のFolk Songs of the American Negro No1 (Work Brothers)で見つけたもの。

以上