【義父の葬儀】告別式 ~ 火葬とその後 | 双極性障害と買い物依存と生きるそらりのブログ

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2015年に双極性障害と診断されました。
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3月27日(水)は、

お通夜から一夜明けた告別式でした。

この日は、昨日とは一転、よく晴れた日でした。

 

例のごとく、一睡も出来なかったばかりか

朝は、私たち3人と叔父夫婦2人の

5人分の朝ご飯を作らねばなりませんでした…;;;

 

朝食はセルフサービスで、

ご飯を炊くのも、

真空パックの焼き鮭をチンするのも、

インスタントのお味噌汁を作るのも、

見かねた夫が手伝ってくれました。

 

本当にすごくありがたかったです。

 

叔父夫婦はというと、

私は気が回らなかったのですが

寝ずの番をしてくれていたようで、

義父のお線香を絶やさず供えていてくれたようです。

 

 

朝食を食べて、少ししたら

告別式に参列する親族が集まってきました。

 

中には、結婚式以来会っていない人もいて

これを機に何かあった際はやり取りしようと、

電話番号やLINEの交換をしました。

 

 

いざ、告別式が始まると

読経の途中で猛烈な睡魔に見舞われました;;;

でも、居眠りせず、ちゃんとお焼香も済ませました。

 

 

告別式の後は、最後のお別れということで

棺をお花で埋め尽くしました。

 

義父はタバコが好きだったので、

好きな銘柄のカートンを収めました。

 

これであっちの世界でたくさん吸えますね。

 

 

お別れの後は、出棺です。

 

義母が位牌を、夫が大きいサイズの遺影を、

私が小さいサイズの遺影を持って並びました。

 

いよいよ最後なんだなぁと思ったら、

どうしようもなく涙が出て止まらなくなりました。

 

 

私の育ての祖父が亡くなった時は

お葬式に行けなかったからか、あまり泣かなかったけど、

まさかあまり関わりのない義父のお葬式で

あんなに泣くとは思いませんでした。

 

 

その後、叔父の車で火葬場に行き

義父は荼毘にふされました。

 

途中の食事会では、気が抜けたのか疲れが出たのか

食事をまったく受け付けず、

飲み物だけで過ごしました。

 

後から聞いたのですが、叔父が私の様子を見て

すごく心配してくれていたようです。

 

でも、食事会で親族と

たくさんお話できたのは嬉しかったです。

 

 

そうこうしているうちに、時間になったので

代表者だけでお骨拾いをしました。

 

時間の都合か、3組まで、一人1回ずつでした。

後は、係の人が全部お骨拾いをしてくれました。

 

葬儀会社は丁寧で親切で、すごく印象が良かったのですが、

火葬場は混みあっているからか、

とても機械的で冷たい印象を受けたのが残念でした。

 

 

全部終わって、義実家に着きました。

 

義実家は仏壇がないので、

小さな祭壇を作り

そこに遺影や遺骨などを安置しました。

 

義父は、「俺が死んだら散骨してくれ。」と言っていたので

時期が来たら、海へ散骨します。

 

それまでは、義母と過ごしてもらいます。

 

 

義実家に着いて、少し経ってから

葬儀会社の人が訪ねてきました。

 

今回の葬儀にかかった費用の確認でした。

 

家族葬で、一番小規模なプランでしたが

結構な金額が飛びました。

 

これくらいの規模で、これだけかかるのかと

お勉強になりました。

 

 

夫は、ずっと喪主として頑張っていたので

大変だっただろうと思います。

 

葬儀会社のかたが帰ってから、夫に

「そらりは今すぐ寝なさい。」と言われ、

私たちの部屋に一人横になっていたのですが、

猛烈な一人反省会が始まって

ずっと泣いていました。

 

喪主である夫のサポートをしたかったのに

何も役に立てなかった、

親戚の前で失言が多かった、

義母のサポートも出来なかった、

と、考えれば考えるほど涙が溢れ

嗚咽を止められませんでした。

 

 

異変に気付いた夫が部屋に入ってきて

慰めてくれて、一時は涙が止まったのですが

部屋を出て義母に会ったらまた泣けて来て

義母まで泣いてしまって、大変でした。

 

夫が私たちをなだめてくれました。

ここでも迷惑をかけてしまいました…。

 

 

でも、その後はなるべく明るく振舞いました。

 

翌日、義母のおつかいに行ってから

義実家から帰って来ました。

 

なぜか平日なのに東名が大渋滞していて大変でした;;;

運転を交代しながら帰って来ました。

 

これからは、義母一人になってしまうし

今後が心配なので、

義実家の合鍵を叔父夫婦に持ってもらって

いつでも義実家に入れるようにお願いしました。

 

また、義父の死亡診断書のコピーも

叔父夫婦に一部渡して、

義母が死亡診断書を失くしてしまった時のために

持っていてもらうことにしました。

 

今回の件で、叔父夫婦には本当にお世話になりました。

ようやく我が家に着いて一段落です。

 

 

 

義父の葬儀を通して、義母方の親族と長時間過ごしましたが、

私の親族や家族とは育ちが違うなぁとカルチャーショックを受けました。

 

まず、『家族や親族の悪口を言わない』ことにビックリしました。

 

私の家族や親族は、お互いがお互いの悪口を

私が小さい頃から言って聞かせていたので、

悪口を言うのが当たり前になっていました。

親族を褒めるなんてもってのほか。

 

悪口も言わないし、ブラックジョークも言わない、

私には少し窮屈に感じたけれど、

それが当たり前なんだと驚きました。

 

 

葬儀後に、LINEを交換した親族から

「そらりさんが素敵なお嫁さんだと、〇〇家ではもちきりです!」と

言われ、お世辞でも嬉しかったです。

こんな風に気を遣って言ってくださるのは、

やはり育ちの違いなんだなぁと思いました。

 

 

良いかた達とご縁が出来て良かったです。

私の家族は機能不全だったんだと、思い知りました。

 

 

帰宅後、2日に1回は私か夫が義母に電話して

元気にしているか気に掛けています。

 

義母の話によると、毎日のように

義母の兄弟が顔を見に来てくれているそうなので、

ホッとしました。

 

 

ここまで、長い記事にお付き合いいただき

ありがとうございました。

 

今回の事で、いろいろと成長出来たように思います。

 

ゆっくり休みつつ、平常運転に戻ります。