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時:えー、いなばの白うさぎのお話ですね!
み:山陰はよく通るんですけど・・・
いなばシリーズは知らないことだらけです。
100人乗っても大丈夫なことは知っていますが・・・
林:はいはいはいはいはいはい。
いなばの白うさぎにまつわることお話を紹介させて頂いてますね。
今回は、八上姫への誤解に関してふれてみたいと思います。
み:大国主命の最初の奥さん!
ですね??
林:はいはいはいはい。
その八上姫なんですが、ネガティブなイメージがもたれてましてね。
子どもを木のまたに置き去りにして、故郷に帰った・・・
いとも簡単に親子関係を絶縁した・・・
というふうに受け取られるような書き方を、古事記はしているのです。
み:なるほど、かなり悪女風ですね。
中島みゆきもびっくりです。
林:木の股から生まれる、ということわざがあるのですが、
その一般的な意味は
木の股から生まれたのは、人間ではないという意味から
人情を理解できない人、特に男女の情がわからない人のたとえ。
とされています。
み:なかなか、シビアな内容ですね。
↗️これは木の股地蔵尊なのですが、どんなかんじで木の股から生まれるのでしょうか・・・
林:ところが、木の股 についてはまた別の意味があるのです。
み:素晴らしくマニアックですね!!
東北地方では60歳を「木の股の年」と呼ぶと!?
それで、木の股の神と呼ばれる、大国主と八上姫の子どもさんと関係があると・・・
マニアックすぎて、プロデューサーがzoom画面OFFでいなくなるかもしれませんよ!?
林:はいはいはいはい。
八上姫の研究で知られるお城山展望台かわはら城の落合久美さんのブログによりますと・・・
「出雲の源郷 斐川(ひかわ)の地名散歩」
という神話伝承が由来になった地名辞典と出会いました。
その中に「結(むすび)の郷」「姥捨て山と木の股年」という章があり、
次のような伝承が伝わっています。
⬇️ひかわちょうはココです!出雲縁結び空港があるんですね!
姥捨て山の地名が残る、斐川町直江(なおえ)に結という地区があり、
そこに伝わる伝承です。
「還暦(生まれて61年目)の年を木股年(このまたどし)といい、
この年になると姥捨てと云って老人を山へ捨てた(略)……、
しかし結の郷では、生活にゆとりのある人は木股年になると、
静かな山に入って隠居した(略)……
そこは豊かで住みよい土地であり隠居所だけでなく産屋もあり、
お産や子育ての世話もした。
八上比売(やかみひめ)がこの地で産気づいた時、
木股年の老女たちが出産を手伝い、
そのことから木俣神(このまたのかみ)と言われるようになったのではないか。(後略)…。」
み:なるほど、悪女ではなかった!
林:そうなんですよ!!!
つまり、八上比売ゆかりの地・斐川町では、
【木の股に挟んだから木俣神ではなく、
木股年の人たちがお産や子育てを手伝ったから
「木俣神」
といわれるようになったのではないか!?】と、いうことらしいのです。
この伝承を見つけた時は
「やっと見つけた!やっぱり!!」
という気持ちと
「まさか!?」
という両方の気持ちで鳥肌が立ちました。
多分、斐川町の人たちには当たり前のことで、
「見つけたも何も、みんな知ってるそんな大した事ではないよ。」
と言われそうですが、私にとっては大発見でした。
伝承には続きがあって、八上比売は因幡には帰っていなかったと。
そして、木俣神の成長を願いその地に留まったと。
御子とともに結の郷の守護神となり結神社にお祀りされています。
結神社とは実巽(じっそん)神社のことで※雲陽誌にも記録があります。
※うんようし:享保2年[1717年]に松江藩士の黒澤長尚が編さんした出雲の地誌
⬆︎ほんとだ!やかみひめがおまつりしてありますね!
実の子を出雲に置き去りにして、故郷へ一人帰った・・・
という古事記の記述によって、
冷たい女性、などというレッテルが張られた八上姫ですが、
そうではないことが、これによって明らかとなります。
また、意図的に誤解を招く記述をした古事記執筆者の悪意が明らかとなりました。
み:なるほど!
子供を置いて実家の鳥取に帰ったんじゃなくて、島根に残ったんですね!!
わたしは、もともと八上姫のこと、知りませんでしたけど・・・
濡れ衣ならば、それをはらすお手伝いをします!
山陰好きですので!!
これで、わたしもとっとり観光大使に任命されるかも!?
時:はいはーい、よろしくお願いしまーす!
ディープな話がまだまだ(つ・づ・く)