「汝、星の如く」

の世界観がとても好きで、今もまだ浸っている。

物語みたいな生き方をしてこられたひとだったなんて。。



作家 凪良ゆうさん 50歳


母子家庭で育ちました。母は仕事の関係などで家にいないことが多く、小学校低学年の頃から料理も洗濯も掃除も、全て一人でやってきました。小学6年生の時、10日間ほど一人で過ごし、お金も食べ物も底を尽きそうになったことがあります。「どうしよう」と不安になりましたが、友達に知られたくないという子どもなりの見えやプライドもあって、誰にも言えませんでした。 人間ってすごく不思議で、度を越えると、怖さも苦しみもつらさも感じなくなってしまう。感覚が麻痺(まひ)していたのだと思います。 担任の先生が異変に気づき、家にまで来て助けてくれました。 母はそのまま帰ってくることはなく、その後は、結婚して家を出た10歳上の姉の家や、姉の夫の実家を頼って半年ほど転々としましたがうまくなじめず、児童養護施設で暮らすことになりました。 施設では、一つの棟に住み込みの保育士1人と、小中学生の男女10人ほどとで共同生活を送りましたが、心に傷を負い、問題を抱え、誰にも心を開かない子が圧倒的に多かった。大人の前ではニコニコしていても目は笑っていなくて、陰で暴力を振るうのは日常茶飯事。緊張と警戒を強いられ、気が抜けませんでした。


そんな中、学校は、唯一普通の子どものように振る舞える場所でした。中学卒業後に就職して逃げるように施設を出る子は多かったけれど、少しでも普通の子になりたくて私は高校に進学しました。でも、高1の夏休み明けに自主退学しました。 学校指定ではない綿の開襟シャツで登校したところ、サッカー部の顧問だった先生に門の前で「帰れ」と追い返されたことがきっかけです。その先生は「服装の乱れは心の乱れ」と生徒には厳しい一方、自分はパンツ1枚でグラウンドを歩くような人でした。 今からすると、そんな小さなことでと思うけれど、私は幼い頃から大人の都合で振り回されてきました。「これ以上、無意味で不条理で矛盾したことに従うのは嫌だ」と、それまで抑え込んでいた怒りが爆発した瞬間だったのでしょう。幼いころから他人の中で常にビクビクと身を縮め、心から幸せだと思うことは一度もなかった。だったら一人で生きていったほうがマシじゃないかと、諦めて開き直ったのかもしれません。



施設を出て就職しましたが、15歳で自立することは、想像以上に大変でした。初めて勤めた会社では、「中卒」「施設出身」と足元を見られ、月給は7万円ほど。生活ができず、半年で辞めました。コンビニや飲食店、工場などアルバイトを掛け持ちして、その日暮らしで生きていました。そんな状況でも、その頃には連絡が取れるようになっていた母に仕送りを続けていました。 はたから見たら過酷な人生ですが、絶望一色にならなかったのは、物語のお陰です。小学生の時は近所の小さな本屋に毎日通い、漫画や児童書を立ち読みしました。読むよりも描くことはより没頭できて楽しく、中学生になると漫画家になりたいと、投稿も始めました。物語の世界は、私にとって逃避の意味が強かったけれど、生き延びるために切実に必要なものでした。 生活に余裕もできた30歳の頃、昔好きだったSF小説のネット記事を見て創作熱が再燃しました。漫画は10年以上のブランクで描けなくなっていたので、「小説を書こう」と気軽に始めたら面白くて。好きなだけ小説を書きたいと思い、作家になりました。



全力で逃げて心を守って、自分の人生を生きて



これまで、もう駄目だと思ったことはたくさんあります。でも今も何とか生きています。死にたくなるたび、あの頃よりマシだよなあと思えるんです。地べたをはいつくばるようなつらい過去だけれど、それも生き続けてさえいれば、いずれ最強のカードへと変わることを大人になってから知りました。


正直、人生はしんどいことの連続です。家にも学校にも、居場所がない子は、小説や漫画、推しの芸能人、ゲームなど何でもいいから、とりあえず、逃げ込める場所を作ってほしい。見たくないものからは徹底的に目をそらしてほしい。直視して心が潰れるくらいなら、自分だけの小さなシェルターに籠もって嫌なことからは全力で逃げて、心を守ってほしい。それを逃げだと非難してくる人たちのことは、「ぬるい人生送っていて幸せですね」とばかにしていい。 これは過激な発言でしょうか。でもこれらはすべて、今この瞬間、死にたいと思っている子たちの、生き延びるための最終手段なのだと思います。


そして少し余裕ができたとき、もし助けを求められる人がいるのなら、全力でSOSを発信してほしい。話を聞いてくれる人がいたら、そこは居場所になるし、救い出してくれる1本の糸になるかもしれません。 それが短い期間のこと、あるいは錯覚だったとしてもいい。一瞬だけでも、ほわっとあったかい気持ちを味わうために、『絆』を利用することは何も悪くないと思います。そもそも世の中で善意とされているものの多くは、たくさん持っている人たちから生まれるものです。たくさん持っている人たちから、少しくらいわけてもらってもバチは当たりません。


強く、しなやかに、したたかに、すべてを利用して生き抜いていってほしい。そうすればいずれ、与えられたものを過去の自分のような子に与え返すことのできる、かっこいい大人になれます。そのとき、今の自分をつらくさせているものたちは無力な砂塵(さじん)と化すでしょう。 私には普通の家庭というものが、よくわからないところがあります。小説では、同性愛や血のつながらない親子、わかり合えない家族など生きづらさを抱える人々の人生を描いてきました。 苦しい時には、「自分はどうしたいのか」を考えていくしかない。他の誰かと比較したり、こうあるべきとの幸せにとらわれたりしなくていい。自分にとっての幸せを見つけ、それぞれが自分の人生を生きていけばいいのです。


◇なぎら・ゆう 滋賀県出身。2007年に作家デビューし、ボーイズ・ラブ(BL)小説でキャリアを積む。一般文芸3作目となる「流浪の月」(東京創元社)で20年に本屋大賞を受賞。今年、「汝、星のごとく」(講談社)で2度目の本屋大賞を射止めた。この小説のスピンオフ3作品を収めた「星を編む」が今秋に刊行予定。 この記事は読売新聞とYahoo!ニュースによる共同連携企画です。#今つらいあなたへ