一つの物事でも見方によっては色んな解釈ができる。
例えば人口だが、
世界的な食糧の需給という側面から見ると増えすぎるとまずいということになる。
しかし過疎地では人口というものは増えてもらわなければ困るし、安定した経済成長のためには人口は右肩あがりでなければならない。
また、年齢別人口構成、所謂人口ピラミッドだが釣鐘型が先進国の象徴とされているが、高齢者の現役世代の負担が重すぎるから二等辺三角形が望ましいだろう。
会社の定年のように一定年齢が来たら退職(=死亡)、台形の人口ピラミッドとなったら年金が不要になるので、年金の資金繰りという面からみるとすばらしい形だが、実生活ではそんな形でよいわけではない。
しかし、昔の姥捨て山などの風習は、家庭内総生産に寄与しない者は退場しなければ生存していけないという止むに止まれぬ事情があり、自ら台形にしようという力学が働いたのだろう。
まあ、これらは見方は違えど人の存在を否定するものではない。
しかし、しかしだ
もっと見方を変えると・・・
例えば地球を擬人化して地球の視点からみると、もしかしたら人間というものは細胞のようなものなのかもしれない。
中国は体を冒す悪性癌細胞そのものじゃまいかwww
自国領土で公害を発生させ他国の領土を侵略しようとする。
癌の転移そのものだ。
それに歯止めをかけるには、癌細胞の活動を不活化するワクチンか癌細胞そのものの切除しかない。
そう考えてみると鳥インフルエンザなど強力な伝染病のパンデミックっていうのは地球から見たら投薬治療なのかもわからない。
そして普段起こらない大地震などの大災害は手術なのかもわからない。
かなり飛躍しすぎた発想のしょうもないことを書いてしまったが、さらに全世界的に調節機能が働いて氷河期に突入なんてこともありえない話ではないなあと思った次第だ。