長女が沖縄に修学旅行に行った時の、素直な感想の言葉を目にしたので、少し紹介。
1日目。
南で負け続けていた日本軍が沖縄に入り、飛行場などの建設をしていて、週1回あるかないかしか学校に行けなかった。
空襲が早くて朝食が食べれなかった。
壕の中にたくさんの負傷兵。
明かりもなければ、ピンセットもなく救急班が来なければ、治療できなかった。
ウジ虫がたくさんわいた。片腕切断の兵士。
食事、1日1個のおにぎり。
2日目。
この日は壕に入りました。
中は、じめじめしていて暑くて息苦しかったです。
昔ここにたくさんの人がいたと考えたら、とても恐ろしくなりました。
ひめゆりの塔では、亡くなった人の写真と名前、生き残った人の記録がたくさん残されていました。
あと、普天間基地を見学しました。
ヘリコプターの音がうるさくて、耳が痛くなりました。
3日目。
沖縄伝統菓子3種作りでは、サ―タ―アンダギーとム―チ―とゴ―ヤチップスを作りました。
おいしかったし、レシピもいただいたので、また作りたいです。
美ら海水族館は水槽が大きくて、魚だけでなく、イルカやマナティや海がめもいました。
あと初めて飼育に成功したという本物のサンゴもみれて貴重でした。
4日目。
国際通りはびっしりとお店が並んでいて、どこもお店の人が一生懸命呼び込みをしていました。
修学旅行生ということで、割引してもらえたり、サービスしてもらえたので、いい買い物ができたと思います。
・平和講演メモ
●感動したこと。
壕に戻る途中で友達が負傷し、看病している時に、一生懸命生きようと説得したお話。
●講演を聴いて考えたこと。
今私たちが生きている時代では想像がつかないような体験をしていて、話をきくだけでも、辛かった。
こんなことは繰り返してはいけないし、未来へどんどん伝えていかなければならないと思った。
沖縄の美しい海の裏側の、大きな苦しみ。青春真っ盛りのティ―ンエイジャーの長女の心のピュアさを通してだからこそ、この言葉が貴重に思えました。
冒頭の写真は、5年ほど前の家族で沖縄に行った時のもの。
参考まで、その時、所属していた大学院の電子マガジンに連載していた文も最後に、紹介。
http://atlantic2.gssc.nihon-u.ac.jp/magazine/026/rensai/ren6.html