今日10時からスタートした神戸マラソンのエントリー、アクセスが殺到しているためか、なかなかうまく繋がらないので、今日のエントリーは諦め、昨日に続いて、瀬戸内寂聴さんの著書、小学館の「素顔の寂聴さん」の、生についてのテーマでの心に残る言葉を紹介したいと思います。


● 心 今日はいいことがあるぞ、明日もいいことがあるぞ。


・「『明るく、楽しく、たくましく』を、日常生活を支える三本の柱にして生きていけば、この世が極楽世界になり、老人は自分の老いを持ちこたえることができる」これは数え百歳を全うされた山田恵諦お座主さまの最晩年の生活信条であった。


・プラス思考とは、朝、目を覚ますたび、「今日はいいことがあるぞ、明日もいいことがあるぞ」と思うのです。そして、悪いことがあったら「これは何かの間違いだわ」と思っていればいいのです。明るい人に不幸は寄りつきません。


・兼好法師は、よき友として「物くるる友、医師、知恵ある友」の三つをあげている。私はそれに、パワーのある友を加えたい。


・死にぎわ、あらゆる人に「ありがとう」と言えるような死に方が出来たら、どんなにいいだろうか。


・人生の幾山河を共に越えてきた老夫婦が、互いの肉体で相手をいたわりつつ、寄り添い歩く姿を目にするたび、私は川の流れにさらされ、かどが取れるまで洗い抜かれた玉石が、河原でならんで陽を浴びているのを見るような懐かしさと清々しさを感じる。


・生きてきた以上やはりこの世で、何か人のためになることをひとつでもして死んでゆきたいものだとつくづく思う。


・いかに美しく忘れるか、それは、さまざまな別れに満ちた人生を生きる我々人間の永遠のテーマなのではなかろうか。


・人間はこの世を去るその瞬間まで、実際に生きた一生とは違う、もう一つの自分の人生を夢見つづけているのだろう。


昨日に続いて、寂聴さんの言葉が心に残りましたか?


僕には宿題があって、5年ほど前に、寂聴さんの12枚のCDの法話集を買いましたが、なかなかまとまった時間が取れず、まだそれを聞いていないのです。


今回の著書を読み返してみて、そろそろその法話集を全部聞いてみたいと思うようになりました。


その法話集には解説書が付いているのですが、そこで1つ、最後に、その解説書から寂聴さんの言葉を紹介したいと思います。


内容は、講演「生きる喜び」についてです。


・私は出家するまでは、自分が自分がと思っておりました。自分の、才能や努力といった力を極限に押し開くことが生きる喜びであると考えていました。出家してからは、自分一人が幸せになってもしょうがない。地球上に起こる全ての不幸に、自分が責任をおわなければならない。全ての人が幸せになってもらわなければしょうがない、という考えに変わってまいりました。私はこの頃、生きているのが楽しく喜ばしく思われます。力のある限り、体力が続く限り、こういう生活をしていこうと思います。


なかなか寂聴さんのような考え方まで自分は至りませんが、ちょっとでも近づけるような気持ちでいつもいたいと思っています。