フランク・キャプラのヒューマニズム全開作品。
非常に面白かった。が、感動はしなかった。
むしろ、終盤の展開には「え!?」と驚いた。
ちょっと、今昔の倫理観の違い、およびアメリカ国民の倫理観の違いを感じてしまう。
この話、簡単にいうと、スペイン貴族を騙して結婚する話なんです。
ハッキリいって身分詐称して貴族と結婚する、なんなら結婚詐欺の話。
でも、それを「騙し通せて良かったね!」というエンディングなのだwwww
これはちょっとねwww
別に騙される貴族も悪い人たちじゃないからね。
それに映画内ではハッピーエンドでも、この後のことを考えたら絶対に身分詐称はバレますからね。実際はバッドエンドですよ。
でも、そういったことを含めても良い映画だなと思える。
それはこの映画には「悪人」がいない。
いや、正確に言えば、皆して貴族を騙すので、悪人だらけとも言えるけどね。
でも、皆がアニーという浮浪者の老女のために一肌脱いで協力するという展開が気持ちよいんですよね。
なので、これこそが映画のウマサですよね。
実際は悪いことしてるのに、それを観客の目をそらしてあたかも善行のごとく見せて、そのまま逃げ切るというね。
私はバリバリ気づいてしまいましたが、すばらしい手腕だと思います。
なので、名作と認めたうえでツッコンでいきます。
まず、娘を修道院送りにして、一度も会わずに文通だけの母娘関係ですが、こんなに円満かね?普通恨むだろ。それに、金持ちの財閥ならなぜ娘を修道院に出すのか?それに、修道院出の女がなぜスペイン貴族と懇ろになれるのか?などなど、娘と母親のことについてはツッコミどころ満載。
あとは、映画の構成として、前半は主人公といえる老婆のキャラが立ってるし、健気なので良いんですけど、偽金持ちへの変装が始まると途端にキャラが薄れる。それどころかほぼ出番がない。なぜかというと、偽装に協力している街のギャングの獅子奮闘にクローズアップされるのだ。
なので、偽金持ちとして貴族にバレないように振舞うところのスリリングはゼロなんです。そこはばっさりとカット。詐欺師映画だとそこが醍醐味なんですけどね。
とにかく、一人の老婆のために町全体、しまいには警察署長、市長、州知事までもが協力するんですよ。いわば、アメリカンドリームなんでしょうね。なので、そのためには多少の倫理観は犠牲にすると。
さらにその被害者は外国の貴族なので別にいいでしょ、というところでしょうか。
というのも、いうて国の歴史が浅いアメリカは欧州貴族に対してものすごいコンプレックス、劣等感を抱いています。
つまり、血筋とか家柄への憧れがあるんです。
で、そのカウンターとしてアメリカは「お金持ちが偉い」文化が根付いてるんですよね。強がりですよね。「別に貴族はいねえかど、お金はいっぱい持ってますけど?(怒)」みたいなね。それがなお一層下品なんですけどね。
それにしても、終盤の展開は驚いた。ついに偽装がバレそうになって、老女が観念して告白を始めるんですよ。私は嘘ついてました、と。ああ、そうやって正直に告白して、でも愛し合う二人の愛は変わらないので結婚しましょう、という流れかと予想したんですが、そこから怒涛の急展開。上述のように州知事まで偽装に協力して貴族を騙し通すんですからね。
倫理的にどうか?の問題はあるにしても、映画的にはお見事。見事に裏切ってくれました。
いやあ、久しぶりにウェルメイドな映画観たなー。