司会)こんにちは。本日は現代日本における小便至上主義について、日本でも指折りの識者でおります、こちらのお二方に思う存分討論いただきたく、馳せ参じ参りました。

 

A)おめえ、うぜえよ。死ねよ。ワキガなんだよ、お前。立ち去れ。

 

B)おい、おめえもだろ。おめえもワキガだろうが。殺すぞ。

 

A)なんだ?小便至上主義における形而上学的な見地から見ても、あんたの言動原理は極めてナラティブ視点を含めて異常ですよ。

 

B)いやいや、それは単に問題を小便至上主義に限定することから起こる弊害なだけで、もうちょっとマクロな観点から観れば、大同小異、異口同音、あるいは罰符コキニズムに関する、ある意味におけるユング的、もしくはフロイト的な精神分析学についてのセクシャリティみたいなことに波及するわけで。そんなことを今、この場で論じても延々と大便を顔に塗りたくるがごとくの児戯にしかならないと容易に想像できますよね。

 

A)まあ、罰符コキニズム、もしくはアンチザーメン主義に対する考え方についてはほぼ全面的に同意するけど、マン汁勃起コキニズムについての今の発言は容赦しがたいものがあるね。今の日本に求められてるのはあくまでコモディティであって、小便汁飲み干しニズムではないからね。その辺をよく理解してないんじゃないかな、みたいな感想を持たざるを得んと言わざるを得ん状況と言わざるを得んよ、うん。

 

B)うーん(苦笑)それって全然違う領域分野の話なので、今そこの話を持ってきて私をさも無能、あるいはスカトロジーの権威がごとく非難するのはどれだけ好意的にみても的外れと言わざるを得ないかな(大爆笑)

 

A)そうかな。私はまったくもって的外れだと思えないし、いわゆる肛門コキニズムにいたるまでの中世主義というか、現代風に訳するところのロマン主義みたいなものは、露骨なほどに幅を利かせているわけで。あくまでコンサバティブな思考にこだわるなら私も付き合いますけどもね。でも、本日、ここで討論されるべきはそのはるか先にあると思うわけで。まあ、いつまでも入口で水掛け論するよりも、もっと本質的内面についての小便経済論に踏み込んでもいいじゃんないかな。そちらの準備ができてれば。

 

B)準備はとっくにできていて、私としてはおたくの心の準備ないし、小便の我慢比べ大会がごとくのサステナビリティ優先の帝国主義みたいなことには心底辟易していることは明白だと思うし、仮にそこを、百歩譲ってポリティカル・コレクトの視点で持って勃起に対するカウンターカルチャーとしてのマン汁を標榜する場合における致命的な矛盾をどのように説明するのか、あるいは説明しない立場を表明した場合に明るみにならざるを得ないダイバシティ的責任とか、もちろん付随する小便ジョブゼニティをどう位置付けるかが重要なわけで。さっきから思うのは、そこの視点というか考えの発端が欠落してるんじゃないのかなあと思っちゃいますね。

 

A)うん、よくわかんないな。民俗学的立場で正直に申しますと、一から十まで肛門と口蓋は接続されていることは火を見るよりも明らかなわけで、今さらその議論が不要なことはおたくも同意いただけると思うんだけども。でも、当時の若者文化を取り巻く、あるいは巻グソを取り巻く毒蛇のようなものが、果たしてどういった役目を担っていたのかということから目を離しちゃいけないと思うんですよ。だって、正直に言って、そこが今まで日本文学が語ることを避けていた分野でもあるし。つまり、なんでもかんでも説明しろとまでは言わないけども、肛門ゆえの小便なのか、マソコゆえに勃起なのかという対立軸だけははっきり説明するべきなんじゃないかと思うわけです。そのへんはいかがですか?

 

B)いかがですかって、言われてもね。そりゃ、ナチズムに対する勃起汁革命があったことは否定しないし、かといって私は決してマン汁優先主義を信奉してるわけでもないから、今聞かれたことに白黒答える気はないんだけども、ただね、内閣改造を標榜した時点でそれは天体望遠鏡に例えればクンニリングスで、いきなりクリを舐めるんじゃなくて大陰唇を唇で優しくハムハムと愛撫することに等しいからね。そこは共通見解なんじゃないかな。

 

A)ほら、また論点がずれてるじゃないですか。ここで我々の共通見解、もしくはチンポ汁を比べることは無駄なんですよね。だって、この議論の出発がそれを是正したところから始まってるんでね。

 

B)違う違う、私が述べたいことはそこじゃなくて、潮吹きのメカニズム解明に伴うリスクに関する側面なんですよ。

 

A)いや、全然違くないですよ。同じことを言ってると思いますよ。結局、クソをすればケツ穴を洗浄しなければいけないのはお互い同じなんですから。

 

B)あー、そこをそう捉えると議論は発展しないですよ。やっぱり、最初の段階で何がマソコで、何が小便なのかの定義ないし規定をしないと。

 

A)でもそれはあくまで相対化でしかないからね。決して永続的なものではないし、そこに加担し過ぎると別の意味で喉ボコイラマチオになるからね。

 

B)永続的である必要もないし、むしろキネティックな方向に傾くと危険性ばかりが取りざたされてとどのつまり小便飲めよ資生堂って安易な結論に陥ると思うんですよ。

 

A)それはどうでもいいことなんじゃないかな。あくまで要素の一つでしかないからね。そこで視点を狭くしてしまうと木を見て森を見ず、もしくはウンコを見てケツ穴を見ず、という事態になるのが世の常だし。そこはそこでいったん妥協じゃないけど、保留しておいてある程度議論が進んだ段階で小便で洗い流すくらいの気楽さが要りますよ。