ジュリアン・デュヴィヴィエ作品。
キリストの受難を描いた映画。
私は別にキリスト教を信奉していないので、聖書とか、福音書とかの知識はない。
しかし、外国映画を観ているとどうしてもキリスト教のことがやたらと出てくるので、なんとなーくうっすらと知っている。
まずですね、イエス・キリスト自身はキリスト教ではありませんwwwww
そりゃそうだ!でも、これ意外と驚きますよね。当たり前のことなんですけどね。
で、裏切り者ユダとか、一度死んで蘇えるとか、処女懐妊とか、そういうエピソードは知ってるわけです、なんとなーくね。
でもぶっちゃけ、キリストの起こした奇跡って、単なる偶然とか、奇術の範囲で説明できることですし、それらすべてを盲目的に信じるのもどうかと思うわけです。
だって、キリストの弟子が書いた書物をそのまま鵜呑みにするってどうよ?
これ、よくたとえ話で出ますけど、今から1億年後の地球、人類はすべて滅んで別の宇宙人がその地球に来た時に、昔の書物だ!とかいって週刊文春とか週間実話を掘り出して信じるかもしれないんですよ。
だから、当時、聖書を書いた連中が悪ふざけで書いたかもしれないんです。
で、映画ですが、私でもなんとなーく知ってるエピがちょこちょこ出てきて興味が持続します。
その辺は職人デュヴィヴィエなので無駄なシーンはなく、テンポよく話は進みます。
なんつーか、現代にも通じる話なんですよ。
奇蹟を起こす人、としてキリストは民衆から大人気になります。
しかし、政府は快く思いません。政府(皇帝)よりもキリストが人気になり、支持を集めてしまうと国家転覆につながりかねないので。
なので、キリストをなんとかして死刑にしようと画策するわけです。
これと同じことは『裁かるるジャンヌ』でも描かれますね。
で、キリストの処遇は結局、政治的に利用されるんですよね。
民衆の支持を得るためにキリストを殺すか殺さないか、つまりは世論。
つまりはすべて政治のため。
でも、現代社会だとあらゆる物事の最上位概念は「経済」ですよね。
経済のために政治があり、政治のために宗教があり、って感じですね。
つまり、最強は経済活動です。
あらゆる物事に対して経済は優先されます。