ロベルト・ロッセリーニ監督作といいつつ、2編のオムニバスの各話の脚本をジャン・コクトーとフェデリコ・フェリーニが担当という豪華映画。

 

なので、監督というよりも脚本家の手腕の方が出ている気がする。

 

1話目はひたすら電話しているだけ。完全な一人芝居。電話をしているのは女で、おそらく別れた男に未練タラタラの様子。電話が来るのをひらすら待ち続けており、電話になると「私はあなたを忘れる。私は強くなる」と気張ったと思ったら次の瞬間には「あなたを愛してる、電話を切らないで」とかひっくり返るし、相手の男もおそらくは「君はもう僕を愛していないのだろう」とか言ってるのだと思う。だって女が「私は心から愛してるわ」って言ってるし。

こういう調子の電話を延々と30分くらい見せられるので辟易する。

もう男も女もメンヘラ気質でしんどいwwwww

これはジャン・コクトー担当の話で、ようは、コクトーはバッキバキのホモですので、彼の「女性性」がもろに出てるんです。

 

で、2話目はフェリーニ。同じ女優ながら、こちらは明らかにフェリーニ印。もう話し方がフェリーニなのよ。それにフェリーニも出演してるし。ただの放浪民を聖人と思い込み、さらに酒を飲まされて犯されそいつの子供を妊娠・出産するというお話。たぶん聖書のエピソードを下敷きにしてるのだろうけど、この女はキ印なのでしょう。

この辺はイタリアのゴリゴリのカトリック観が分からないと理解できなさそう。

最後に女はボロボロになりながら子供を一人で産んで乳を飲ませて映画は終わる。

母子愛で映画は終わるが、明らかにこの二人はこの後不幸な運命をたどる。

この辺の苦さは後のフェリーニの『青春群像』とか『崖』に通ずるのであろう。