よく漫画とか、ドラマとか、映画の展開で、主人公一行にとって都合の良い結末を迎えると「ご都合主義だ!」という人がいます。

あのね、ご都合主義がなんなのか知ってるの?

映画なら2時間、ドラマなら1時間、漫画なら20ページの中で話を収めなきゃいけないんだから、そりゃ都合よく進めるだろうよ。

なので、「ご都合主義」批判するヤツはバカだし、在日朝鮮人である。

 

でも、許せないご都合主義、救いがたいご都合主義というものは存在する。

 

まず、許せるご都合主義。たとえば、主人公が宝くじを買う。これは必ず当たるべきである。劇中の主人公が宝くじを買って当たらないのなら、くじを買う意味がないのである。たとえば、劇の最後の最後で、宝くじが当たってハッピーエンドは許せるのだ。

では、同じ宝くじが当たる場合でも許せない場合。これは、劇の中で主人公が宝くじを買ったことを観客が知らない場合である。分かりますか?この違い。映画の中で「お金がない、どうしよう、これでは借金が返せずに破産だー!」と大ピンチを迎えているとする。そこで、この映画の前半部分で冗談のつもりで宝くじを買うシーンがあったとする。そのあとで、宝くじが当たるのは良い。素晴らしいご都合主義だ。

でも、この映画の中で一度も宝くじを買うシーンがない、もしくは買ったことを話すシーンがなければ、つまりは観客が宝くじの存在を知らないのに、最後の最後に「あ、そいえばこっそりと宝くじ買ってました。そして当たってました」はダメだ。これは完全にダメなご都合主義。

つまりは、前半の宝くじを買うことが伏線になっているわけである。