映画監督にも色々いる。

はっきり言って、今の流行監督はほぼ「下請け」である。

自分で企画を考え、脚本を書き、スタッフを選び、監督する人間は非常に少ない。

たとえば、マーベル映画なんて、製作会社から指名された人間が決められたキャストとスタッフ、決められた予算を命ぜられて作るのである。

なので、マーベル映画でどれだけヒット作を作ろうが「お前は命令通り働いただけだろ」と思うだけである。

 

でも、まあ90年代までは独自の「作家性」を持つ監督が大勢いた。

もちろん、その対極に当たる「職人性」を持つ監督もいた。

今は、どちらもいない。ただの「雇われ」「下請け」監督である。

 

職人監督といえば、私の中ではリドリー・スコットである。いろんなジャンルの映画を撮る。多作でもある。

でも、その幅広い作品性がアカデミー監督賞を獲れない理由だとは思う。

あとは、ドン・シーゲルもそうだろう。彼の中で芸術映画と呼べるものはない。ほとんどが低予算映画である。代表作の『ダーティ・ハリー』や『アルカトラズからの脱出』ですら、大予算映画ではない。彼は非常に早撮りで、必ず撮影日数や予算を遵守していたらしい。この辺の手際の良さが職人たる所以である。

 

作家性の高い監督は大勢いる。いわゆる、「世界的巨匠」と呼ばれる人は基本的には作家性の高い監督である。

こいつらは、基本的に作品の全権を掌握している。キャストからスタッフ、予算まで全部に口を出す。

簡単に言えば、「俺の撮りたい映画しか撮らねえ」タイプ。

日本で言えば、小津安二郎、黒澤明、溝口健二があたる。

逆に、成瀬巳喜男はどちらかといえば職人気質な気がする。

 

海外で言えば、本当にたくさんいる。イタリア勢のフェリーニ、ヴィスコンティ、ベルトルッチ、アントニオーニはもちろん。フランスでもトリュフォー、ゴダールはもう完全。むしろ作家性を目指して監督している。

 

歴代最高のヒットメイカーのスピルバーグはこの作家性と職人性の中間に位置する。

彼もいろんな作品を撮る。基本的には、アドベンチャー、SF、モンスター映画である。でも、それ以外にも史実、政治、伝記も撮る。

でも、基本的には彼が興味があるのは、モンスター、破壊、銃撃、爆発である。少年ですね。