チャップリンの最後の主演作品。
これはかなりストレートなアメリカ風刺・批判。
チャップリンは「共産党員(コミュニスト)」であると疑いをかけられて、アメリカに住むことを禁じられていました。
すごくないですか?赤狩りといって、共産党員である人間は国外追放されていたんです。
とくに、映画業界人は厳しく追及されていたんです。
まあ、そういう共産主義賞賛映画を作られないようにするためでしょう。民主主義・資本主義を否定すんじゃねえ、と。
で、この映画においても主人公である王様はまさに当時のチャップリンそのものです。
とある国で革命が起きてしまい、亡命という形でアメリカに逃亡。しかし、そこでも共産主義者である疑いをかけられる。
この映画では、隠しカメラによるドッキリ、テレビCMとか結構時代の先を行った批評性を感じます。
1950年から60年にかけて何が大きな変化かというと、ずばりテレビの台頭です。
テレビの出現、普及が世界のすべてを変えました。
まず、ニュース性。新聞よりも速く、映像付きで、国民は知ることができるようになる。
あと、広告機能。これが一番大きいですかね。いいですか?テレビはテレビ番組を観るための機械ではないですよ?コマーシャルを観るための機械なんですよ。知ってましたか?さらに、コマーシャルに有名人・著名人・芸能人を起用する、という手法ですよね。
それにしても、チャップリンの晩年の3作をここ数日で一気に見たわけだ。
『殺人狂時代』『ライムライト』『ニューヨークの王様』である。
これらの作品では、チャップリンは白塗り・ちょび髭・帽子に杖の風来物を演じていない。素顔で出ている。
この3部作は、これまでのチャップリンの映画キャリアをうまく利用したうえでの大傑作群だと思う。
今まで散々映画の中で馬鹿を演じてきたチャップリンが、いかに理知的な才人であるかがダイレクトにわかる。