日本人は説明が好きだ。

説明を聞くのではなく、説明するのが好きだ。注釈好きと言っても良い。

 

詰め替え用のシャンプーの袋を見てそう思った。

「飲み物ではありません」

と書いてあった。どういうつもり?

このシャンプーを飲もうとする人がいると思ってるの?じゃあ、それはどういう人?

パッケージにはシャンプーって書いてあるのに?わざわざ「飲み物じゃない」って書く必要があるってことはどういう人に対するメッセージなの?

そもそも、シャンプーを飲もうとする時点で、そいつは字が読めねえだろwwww赤ちゃんが間違って飲むくらいだろ。

成人でまだ飲もうとするやつは飲ませておけよwwww

 

あと、この説明好きを痛感するのは、映画の邦題である。

邦題は原題からまるっきし変わって、全然別のものになることが多い。

というのも、映画の英語原題は非常にシンプルなものが多い。

たとえば、『ワイルド・スピード』だが、原題は『Fast and Furius』。基本的にはこの原題に2,3,4,とナンバーが付与されるのが続編である。

でも邦題では、アイス・ブレイクとか、ジェット・ブレイクとかまったく原題にはない文字が入る。

あと有名どころでは『カールじいさんの空飛ぶ家』の原題は『Up』。

たしかに、原題を直訳して『上昇』だったら、何の映画は分からない。

でも、逆に原題はUpと超シンプルで、それで良いと思うアメリカ人の感覚がすごい。

 

あと、アメリカ映画は人の名前がそのままタイトルになることが多い。逆に日本映画にはほぼない。

『エリン・ブロコビッチ』『ジョン・ウィック』『ロッキー』『ドニー・ダーコ』『キャリー』など。

これを日本人の感覚に置き換えると『三井洋子』『田中敏郎』『ケンちゃん』『若林秀介』『良子』みたいな感じ。

どうも、日本人の名前はそのままタイトルにはしづらい。ダサい。『椿三十郎』くらいしかカッコつかないのだ。