人数の規模が大きくなるにつれて、オルソンのパラドックスが生じるのは、感覚としても、わかる。
自分が勤務する塾も、規模は決して大きくないが、講師とは別に、全体を統括する役目の人がいる。
それは、規模が大きくなると、フリーライダー(タダ乗り)が現れるからだ。
自分が一番最初に、フットサルで知り合った高校生に英語を教えたときも、マンツーマンだったし、決してデキル子ではなかったが、それでも今から思えばやる気があるほうだった。
しかし、今の塾には、頭はいいのに、ただ居るだけ、全くと言っていいほど勉強しない生徒も数人いる。
これも、フリーライダーの一種だろう。
アークライトが力織機を発明した頃の時代は、ただ発明する人がいて、生産性が飛躍的に向上して、冨岡製糸工場のような工場に労働者を集めて、大量生産をするだけだった。
これは、「勤労」の段階である。
次に、ロックフェラーやカーネギーなどの、金融と大量生産が組合わさった、『産業』の時代が訪れる。
これは「貨幣」の段階である。