今日もこのブログに来ていただいて、ありがとうございます。

 

無数にあるブログから、ここに来ていただくというのも、ご縁というか、なんというか、とにかく、僕としましては感謝です。

 

本ブログが、みなさまのお役に立てれば、嬉しい限りです。

 

 

本編の前に、ちょっとだけ、お知らせです。

 

 

★3月6日、お話会をやります。

よろしければ、お越しくださいね。

お申込みなど、詳細は下記イベントページをご覧くださいね。

『コーリング/魂の目覚まし時計としての病気』

 

 

★仲間づくりのお話会(無料)もやっています。(2月27日13時~14時)

リーラの会

 

★肺がんステージ4宣告から生還までの体験記はこちらです。

(Amazonカテゴリ別/闘病記/ランキング8ヶ月間1位/ 終末期医療1位)

 

★「5年後も、僕は生きています」第1話から読みたい方はこちらをクリックお願いします。

第1回「癌宣告からサレンダー体験まで」

 

 

ではでは、第17話です。

 

 

⑰「ストレス」からの「体調不良」…再発の恐れ

 

 

 

 2017年12月31日。

 

 怒涛のようだった、2017年が終わっていく…ほんとうに濃い1年でした。

 

 1年前(2016年末)の僕は、体調がどんどん悪くなっていくなかで、ポジティブを保とうと必死でした。

 

 声が枯れてほとんど出なくなったのも、ちょうど1年前の年末あたりでした。胸の中がずきずき、チクチクと痛み出して、痰に血が混じり始めたのもこのころでした。

 

 年が明けて2017年になると、悪くなっていく体調と、それを打ち消すために自分がやっている治療を数え上げ、ポジティブを維持することに必死になっていたころでした。

 

必死って、「必ず、死ぬ」って描くんですよね。

 

 そして半年後、肺ガンが脳や全身に転移して死にそうになり、7月にやっとなんとか生還したかと思ったら、今度は会社から退職通告。

 

 

 人生を変える3つの出来事、という話があります。

 

 その3つとは、大病、倒産、投獄です。

 

 僕は倒産じゃないけれど、事実上のクビ宣告だから同じようなものです。1年の間に3つのうちの大病(肺ガンステージ4)と倒産(会社退職)の2つを経験したというわけです。

 

 最後の「投獄」がセットでついていなかっただけ、不幸中の幸いかもしれませんが(笑)。

 

 大晦日の夜、ボクシングの世界タイトルマッチを観戦しました。

 

 トレーナーとして試合で直接対戦したり、あるいは一緒に練習したことのある選手やトレーナーたちが、テレビ画面の中で活躍していました。

 

 

 ああ、僕もあの世界のすみっこにいたんだなぁ。

 

 彼らが、まるで別世界の人たちに見えました。

 

 

そして夜が明けて…2018年1月1日。

 

 

僕は、こうして生きている。

 

生きていること、ただそれだけで、なんてすばらしいんだろう。

 

 

朝起きるとき

 

ああ、今日もこうして無事に目が覚めることが出来た。ありがとうございます。

 

 

 

夜寝るとき

 

今日もいのちを失うことなく、1日という時間を過ごすことが出来ました。

 

本当にありがとうございます。

 

そして、自然と両手が合わさるのでした。

 

 

 

たった1日だったけれど、区切りとなる1日。

 

新たな1年のはじまり

 

 

 

「あけまして、おめでとうございます」

 

 

 

僕と妻、長男、次男の四人家族。

 

家族みんなのサポートがなかったら、いま、僕はここにいなかっただろう。

 

ありがとう、ほんとうに、ありがとう。

 

 

 

 翌日、実家に帰省しました。

 

 

 「本当はね、今年の冬は越えられないと思っていたの」

 母はそう言って、昨年の夏と同じくまた目頭を押さえました。

 

 「ほら見て、髪の毛が結構生えてきたよ」

 僕は帽子をとって、フワフワと生えてきた髪の毛を見せました。

 

 「ほんとね。でもなんか一瞬、カツラかと思ったわ」母が笑いました。

 

 「声も随分出るようになったんだ」 

 

 「本当に良かったね」

 姉や甥っ子たちもみんな喜んでくれました。

 

 「最新医療はすごい。東大病院はすばらしい」

 

 父も相変わらず、ガンを乗り越えた僕ではなく、現代医療をほめちぎっていましたが、、僕はもう父が何を言っても昔みたいに腹が立つことはありませんでした。

 

 僕の中に存在した「もっと褒めてよ、もっと、認めてよ」と叫んでいたインナーチャイルドが癒さされたこと、そして、父の「愛」の表現の仕方がこういう表現方法なのだ、と分かったからでしょう。

 

これも、僕が『ガンという体験』を通り抜けたことで得たものなのでしょうね。

 

 その後、みんなでお墓参りに行きました。晴天のもと、お墓の前でみんなで般若心経を読み上げました。

 

 

 

 『向こう側の、素晴らしき教え』

 

 ブッダは深く瞑想することによって、この世界はすべてエネルギーの満ちた空間であることを悟った。

 

 形あるものは、実は形はなく

 

 感覚も、目の前の出来事も、自分の意思も、自分の認識も、すべては「空」というエネルギーに満ちた空間から生まれ出ているんだよ。。

 

 わかるかい?

 

 

 

 

 

 

1月15日、東大病院へ定期診察のCT撮影に行く前に、会社に立ち寄りました。

 

会社に行くのは12月15日以来、約1ヶ月ぶりでした。

 

ひと月前の話し合いで、3月以降の僕の働き方として、会社から3つ、提案されていました。

 

① 事務職で給料半分

② 定額契約(定額は未定)

③ 退職(完全フリー)

 

社長からは、はっきりと「いまの刀根さんに仕事はありません」「ガン患者は講師としてはリスク」と言われていました。

 

 

その日の帰り道、僕は魂くんの声を聴き、心はすぐに決まったのです。

 

「会社を辞める」

 

という選択です。

 

僕は「会社を辞めること」を社長に伝えるため、会社に向かいました。

 

 仕事の方向性が不安定だと僕の心も不安定になってしまって、心が落ち着かずにどんどんストレスをためてしまう自分に気づいたからです。早くこの不安定な気持ちに終止符を打ち、宙ぶらりんな状況に決着をつけ。落ち着きたかったのです。

 

 それと合わせ、ストレスで体調がどんどん悪くなっていくように感じていたことも大きな原因でした。一刻も早くこのストレス状態から脱しないと「再発」してしまう、という危険感をひしひしと感じていました。

 

ガンにとっては、ストレスがほんとうに良くないのです。

 

 

 「こんにちは」

 

 「いらっしゃい」

 

 軽い雑談の後、僕は切り出しました。

 

 

「いろいろ考えたんですが、やっぱり会社を辞めることにしました」

 

「えっ?」

 

 社長は驚いて、僕を見ました。

 

その表情から思うに、社長は僕が辞めるとは思っていなかったのかもしれません。あるいは返事が予想よりも早かったのかもしれません。「定額契約」の金額が決まってから結論を出すのかと思っていたのかもしれません。本当のところは分かりませんが。

 

 僕は言いました。

 

 「社長が提案してくれた、三番目の完全フリーという形で行こうと決めました」

 

 「…ずいぶん急ね」

 

 「はい。年末年始に僕なりに考えさせていただきました」

 

 「急に言われて、私もびっくりしちゃったわ。今日そんな話になると思ってなかったから」

 

 「急ですいません」

 

 「それを決めるのに色々とあったでしょう。そのあたりの話を、じっくり聞いてあげられなくてごめんなさい」社長は申し訳なさそうに言った。

 

「いえ、大丈夫です」

 

「朗報もあるわよ。色々調べたら失業保険を受けられそう」

 

 実は僕の方も社労士の中江さんから「失業保険がおりそう」と、いう連絡をもらっていました。

 

「ありがとうございます、助かります。退職理由は会社都合にしていただくと助かります。ま、会社都合なんですけど」

 

「はい、分かりました」

 

 

 僕は会社を後にしました。

 

 気分はすっきりと晴れ渡っていました。大空を埋め尽くしていたどんよりとした雲が、す~っと消えていき、真っ青な青空と、輝くばかりの太陽が目の前に現れました。

 

 

うわ~、気持ちいい

 

自分で自分の人生を決めるって、なんて気持ちいいんだろう

 

他人任せじゃない、

 

他人の言いなりじゃない、

 

自分で,自分の人生の選択を決める、この「スッキリ感」。

 

 

さあ~!

 

これで一歩前進だ。

 

まだ先は全然見えないけれど。

 

とりあえず、失業保険も出るみたいだし。

 

そう、いま、本も書いているし。

 

僕は足取りも軽く、家に向かいました。

 

 

 

家に着くと妻に言いました。

 

「会社、辞めるって伝えてきたよ。3月末に正式に退職することになった」

 

「良かったね。私もその方がいいと思ってたんだ」

 

「そうなんだ、まあ、その後はどうなるか分かんないけどね」

 

「大丈夫、なんとかなる」

 

いつも思います。妻は僕なんかより、よっぽどビックハートなんです。

 

 

 

 

 翌日、私物や書類・資料などの整理のため、会社に行きました。

 

 同僚は僕にどう言葉を掛けて良いのか分からないのか、言葉少なく、事務的なこと以外ほとんど話しかけて来ませんでした。

 

 僕は一人黙々と、私物を整理し始めました。

 

 荷物をダンボールに詰めていると、誰に何も言われていないにもかかわらず、なんだか自分のことを敗残者のように感じ始めました。

 

昨日の青空スッキリ気分から、またどんより曇天気分に戻ってしまったのです。

 

 

 惨めだ…

 

 これが、いわゆる「ガン離職」ってやつなのか。

 

ま、自分で辞めるって決めたけんだれど、実質はクビって感じだし…

 

将棋で詰められて、逃げ道なくなったのと、同じだし…

 

 

 

 退職か…12年働いた会社をガンでクビか…

 

なんで、こんなことになってしまったんだろう。

 

 

 

心がどんどんネガティブに落ちていきました。

 

同僚が事務的に話しかけてきました。

 

 

 

 「刀根さんが会社で作った資料は会社のものですので、全て持ち出し禁止です。紙ベースはもちろん、データも持ち出し禁止です。ファイルもコピー禁止です、全部置いてって下さい」

 

 そうか、僕が自分で作った心理テストや資料も全部持ち出し禁止、今後の仕事の参考として持って行くのもだめなのか。

 

 「刀根さんが会社で交換した名刺も、全部置いていってください。会社の財産です」

 

 そうか、名刺一枚、持ち出せないのか。そもそも使うとか使わないとかの選択の余地もないのか。

 

 「それから、会社の客先に、今後一切営業をかけるのは止めてください」

 

 僕が個人的つながりで持ってきた仕事や会社も、今では会社の客先だから連絡禁止ってことか。

 

 じゃあ、4月から自分の仕事を立ち上げようと思ったら、ほんとに全くのゼロ、白紙から始めなきゃだな。

 

 この十二年間の仕事で作った、蓄積したものすべて、、全く使用禁止ってことなのか。

 

 

 

 

 いや~、参ったな、どうしよう?

 

 資料も,人脈も、知識も、今後一切使うな、ってことか。

 

そこまで徹底して、僕の手足をもぐのか。

 

「辞める」って決まったら、まるで「敵」扱いだな。

 

仲間だったんじゃ、ないのか?

 

 気持ちは落ち込み、目前にまた、大きな壁がずどんと立ちはだかった気がしました。

 

 

 

 

 頭の中で「不安」が再び、ぐるぐると走り始めました。

 

 果たして僕は、4月から生活していけるのだろうか?

 

 実際、4月になって何もなかったらどうしよう?

 

 職安に行って仕事を探しても、希望するものがあるとは思えないし。

 

 体力を使う身体系の仕事は、まず無理だし。

 

 いままでの僕の人脈は、全て会社に押さえられてしまっているから、いまの仕事の延長線上は難しいかもしれないし…

 

 本を書いているって言っても、正式に出版の契約をしたわけじゃないし、それがほんとうに形になるかなんて、まだ全然分からないし。

 

先は不透明…全くの不透明。

 

はたして僕は、生活していくことが出来るんだろうか?

 

僕の心は「未来へ不安」で埋め尽くされてしまいました。

 

そして、その心配と比例するように、体調がまるで坂道を転がり落ちるように、どんどん悪くなっていきました。

 

 

 

 

いま(2022年2月)から振り返ると、体調が転がるように悪くなり,再発を疑ったり覚悟したことが三回ありました。

 

このときは、その最初でした。

 

いかにストレスと体調が密接につながっているか、いまでは良く理解出来ます。

 

ガンは生活習慣病だと言われています。

 

遺伝は5%もないそうです。

 

ほとんどの場合、生活習慣の乱れと、自律神経の乱れ、睡眠や食生活の乱れです。

 

乱れる原因は「ストレス」と「生き方」です。。

 

ストレスとは「ゆがみ」「歪み」という意味です。

 

「歪み」という漢字は「正しく」「ない」という漢字ですね。

 

そう、正しい状態からほど遠い「正しくない」状態が長い間続けば、身体だって「正しくない状態」になってしまう可能性が大きくなるのです。

 

それが「病気」という状態です。

 

病気は「正しくないよ」「間違った生き方をしているよ」「無理をしているよ」「ほんとうの自分を生きていないよ」というメッセージ、サインだと、僕は思うのです。

 

このとき(2018年1月)の僕は、仕事に対する未来の不安で、明らかに「正しくない」心理状態にいました。

 

その心理状態が、体調不良を引き起こしていました。

 

そして、体調不良がさらにまた不安や恐れを刺激し、お互い(ストレスと体調不良)をエスカレートさせていってしまっていたのでしょう。

 

 

だからこそ、大事な事。

 

 

それは、病気になったら、ストレスから離れるということです。

 

ストレッサー(ストレス原因)を探し出して、出来るだけそこから離脱すること。

 

自分は自分で守らなければいけません。

 

これがまず、短期的にやること。

 

 

 

 

そして、次は「生き方を変える」ということ。。

 

人生の「視点」を変える。

 

どういう「視点」かというと…

 

自分を大切にする

 

自分らしく生きる

 

他人優先とか、仕事優先とか、評価優先とか、お金(経済)優先とか、自分以外の外側を優先するのをやめる。

 

僕はこのとき、さらに「サバイバルをやめる」「戦わない」ということも、意識しました。

 

がんになる前の自分ではない「生き方」を、選択しようと決めていたからです。

 

 

 

 

ガンになりやすい人。

 

頑張るひと

 

我慢するひと

 

頑固なひと

 

 

みんな、言葉の中に「ガン」ば入っていますね。

 

その逆をやること。

 

 

がんばらない(むりしない)

 

がまんしない(すぐ降参する)

 

すなおになる(うん、と素直に受け入れる)

 

 

 

 

つまり、「サレンダー」の生き方そのものですね。

 

 

このとき体験した様々なネガティブな感情や思考は、その体験を通りぬけることで、僕の、血や骨になりました。

 

すべては、魂の計画による、成長のためのプロセス、そう知っていれば、そのとき(通る抜けるとき)はとっても「痛く」て大変でも、なんとか乗り越えることが出来るのではないでしょうか。

 

「痛い」からこそ、「成長」「学び」も大きいんでしょうね。

 

 

⑱へつづく

 

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第1話から読みたい方はこちらから。

第1回「癌宣告からサレンダー体験まで」

 

 

(オススメのお水やお茶など)

よくご質問いただくので、以前書いた記事をリンクしておきます。

おすすめのお茶や飲み物など

 

サプリなど

 

 

 

★2021年新刊(2021年12月出版)

「さとりをひらいた犬/本当の自分に出会う物語」

 

山川ご夫妻に絶賛いただいております。亜希子さんからは光栄な事に世界的ベストセラー「聖なる予言」みたいだと、お話を頂きました。

自分の魂の声が聞こえずに、何をどう生きたらいいのか分からない人は、ぜひ読んでみて下さい。ご参考になるかもしれません。

このような方におすすめします。

 

①いまの自分が「ほんとうの自分」を生きていないような気がする

②不安や恐れがあたまから離れないときがある

③「ねばならない」で苦しくなる時がある

④自己否定感の渦に落ちしまうことがある

⑤評価や持ち物などに執着して苦しくなる時がある

⑥「心の平安」や「ほんとうの自分」は何か知りたい

 

 

 

 

★ガンからの生還記(2019年)

第1部(ステージ4宣告から生還までの体験)を公開しています。

 

第2部(それで得た気づき・生き方の変化による現実の変化)はWEBでは未公開なので

本を読んでください。

この第2部がこの本の『肝』です。

なぜ第2部が『肝』なのか、有名な編集者である長倉顕太さんが語ってくれています。

書評『僕は、死なない。』~全身末期ガンから生還してわかった人生に奇跡を起こすサレンダーの法則~

 

 

 

 

(お知らせ)


その①

第5回リーらの会(ZOOM/無料)

2月27日(日)の開催となります。

午後1時から2時過ぎくらいまで。ZOOMです。

主に仲間づくりが目的の会です。

 本音で語り合える仲間を一緒に作りましょう。

(内容)

①僕の自己紹介(近況など)

②ZOOMでグループにランダムに分かれてグループ内自己紹介(15分くらい)

③僕のちょっとした話もしくは、質問など

④それを聞いて、感じたこと、思ったことなど、グループでお話し(20分くらい)

⑤連絡事項など

おおよそ1時間強、でしょうか。

無料です。

よろしければ、お越しください。

毎回20名ほどご参加されています。

 

 

 

 

その②

『コーリング/魂の目覚まし時計としての病気』

僕たちは自分でも気づかないうちに『ほんとうの自分』から離れ、駆り立てられるように生きてしまっていることが多いです。

ちょっと待てよ、

なんか違う気がする、

自分らしくない、

毎日駆り立てられるように過ぎていく、

苦しい…

でもなかなか立ち止まれずに、走り続けてしまう。

もうそろそろ、気づきなよ。

もう限界が近いよ。

そうやって教えてくれるものの一つが『病気』ではないでしょうか。

病気になると、立ち止まらざるを得ません。

そして、そのときこそが、いままでの自分の「生き方」を振り返る絶好のチャンスだと、僕は思います。

僕は「肺ガンステージ4」になったことで、走り続ける『らせん階段』から降りることが出来ました。

僕にとってはまさに「コーリング/魂の目覚まし時計としての病気

だったのです。

3月6日、脳梗塞から奇跡的に生還された「ぶちさん」と、お話会を行います。

主題はまさに「『コーリング/魂の目覚まし時計としての病気』です。

ぶちさんは「心筋梗塞・脳梗塞」から、僕は「肺ガン」から。

大病という体験を通り抜けたことの気づき・思いをお話させていただきます。

(日時)3月6日(日)13時30~15時30分

(形式)ZOOM

(参加費)3300円

お申込みなど、詳細は下記イベントページをご覧くださいね。

『コーリング/魂の目覚まし時計としての病気』

 

その③

『時空の杜(そらのもり)/サレンダー瞑想キャンプ

3月10日~13日

詳細案内ページと動画が出来ました。

サレンダー瞑想キャンプ