列子でこんな逸話がありました。
安平仲(斉の名臣)が長寿法について、管仲(斉の名宰相)にたずねた。
管仲は答えた。
「したいことをするだけさ。無理に抑えてはいけない」
「というと?」
「聞きたいものを聞き、見たいものを見、かぎたいものをかぎ、言いたいことを言い、気が向くままにまかせるのだね。
誰でも、良い音楽を聴き、綺麗なものを見、よい香りをがぎ、思っていることを言い、やりたいことをやりたい。
それをしないのは、耳をふさぎ、目をおおい、鼻をふさぎ、智恵を隠し、自分の本性を押さえつけることになる。
およそ、ふさいだり、押さえつけたりするのは、自然をそこなう残虐なことだ。
こういうものを捨て去って、楽しく死を待つならば、一日はひと月に、ひと月は一年にもあたる。
わたしの長寿法とはこんなものだよ。
自然をそこなう残虐さにとらわれて、心配し、いらいらしながら、百年、千年、万年、長生きしたとしても、
それはわたしの言う本当の長寿ではない。
さあ、わたしの長寿法は話したから、こんどは、あなたの“死に方”を聞こうではないか」
安平仲は答えた。
「それは簡単ですよ。別に話すこともない」
「いや、是非とも聞きたいものだ」
「死んでしまえば、もう自分は存在しない。
焼いてもいい、
水に沈めてもいい
土にうずめてもいい
野原に捨ててもいい
ぼろを着せて溝に捨ててもいい
竜の刺しゅうの天子の着物を着せて、石の棺おけに収めてもよい。
ただ、その場その場の、都合次第さ」
管仲は鮑叔と黄子をかえりみて言った。
「人間いかに生き、いかに死すべきかは、ぼくらふたりの話で尽きているね」
「ははは」
------引用おわり-----
死んでしまったら、その先のことなんて、わかりゃしない。
だから、生きているうちは、
やりたいことを遠慮せずにやりましょう。
という、ことなんだな。
2400年前から、人間っていうのは変わってない(笑)。
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