働き始めて、広告の仕事をし始めて

最初の数年のうちは

私のしたいこと=仕事ができるようになること、だった。

仕事を通じて学ぶ様々なことは、実際とても楽しかった。


そのうち30歳を迎える頃になるとすっかり行き詰まった。

「自分は何がしたいのか」

それをずいぶん長い間にわたって問いながら

今に至っている。



たぶん、思考の視点を変えない限り

この思いは一生続いてしまうのだろう。



自分という「個」の範囲で

何がしたいというようなことをあれこれ考えても

若い頃はともかく

自分の軸になるような○○をしよう、というものは

なんにも出てこないように思えてきた。



たとえば、ちょっと視点を上へ持っていって

「自分」を見ながら、自分の周りすべてを「私」と考えると

この「自分」が何をしたら、「私」は喜ぶかなあ・・・・

そんなふうに考えたらいいんじゃないか。



そこで浮かんだ、「自分」はこういうふうにしたらいい

という思いと

自分の内側の感情が一致すれば

『これが私の生きる道=したいこと』

それがすっきりくっきり見えてくる。



今こうしてキーボードに向かいながら打ちながら

すごくそんな気がしてきた。



会社をやめたらどうして行こうかな。

よりによって、こんな景気の悪い今にそんなこと・・・

不合理にも思えるけれど

誰にだってその人にとっての時期というものはあるのだろう。

俯瞰からみて、この私にさせたいこと。

そんなふうに、この先のことを考えていこうと思う。











自分がしたいと思うことには

大きく分類すると2種類になるんじゃないかな。


ひとつは、外国旅行だったり、

ライブへ行ったり、ダンスを習ったり、

本を読んだり、映画をみたり、

ひょっとしたら恋愛だってしたいのかもしれない。

仕事もこちらの分類。

そういう何かしら「刺激」を伴うタイプのしたいこと。



じゃあ、もうひとつはっていうと

のんびり日向ぼっこしたり

瞑想したり、野菜を育てたり、料理をしたり

誰かの肩をもんだり、ヒーリングみたいなことをしたり

そういう、なにかこう、内側からじわじわっと

こみあげてくるような、そういうようなコト。



本当に若かった頃は

前者のことしか頭になくて、それがすべてだと思ってた。

のんびりなんてとんでもない、と。



でもそのうち、そういう刺激系は

どこかで「尽きる」もしくは「際限なく追い続けるハメになる」ものだと気づき

これはどっか違うんじゃないかと

ちょっと否定したりもした。



今はどうかというと、

きっとその2つは陰陽みたいなもので

両方が適度にある状態がいいように思う。

(こんなところでも、やっぱり中庸かあ)

陰陽の配合バランスは

人によって様々なのだろう。



自分のことを考えてみると

きっと後者7:前者3の配合がいいように思う。


ちなみに広告会社なんかにいると、

勤務中は前者9.5:後者0.5くらいな配分の空気だから

そりゃー「何か違う」と違和感でても当然だ。

まあ会社勤めで7:3は、どこにもないって気はするけれど。



いくら稼げば会社を辞めても生活しているのだろう。

真剣に試算してみようと思う。

4年前にガンになったときは

外的理由で強制的に環境を変える結果となったけれど

また再びそういう外的理由で

「お知らせ」してもらう必要がないように

自分から環境を変えることにしよう。


心を静かにして深く問いかければ

ちゃんと必要な答えがもらえるのだから。











素晴らしいタイトルに惹かれ、
本屋で半分ほど立ち読みしてしまった。

アホは神の望み。
ここでいうアホとは、
いわゆる効率的で賢く、
利己しか見えてない器の小さいタイプ…の
真反対。


効率が悪く賢くはなく、
利他で動く。
人の評価は気にせず、自分の道をゆっくり歩む素直で正直な
アホのことらしい。
宮崎賢治の雨にも負けず…の「でくの棒」。

神さまは、こんなアホを愛してるんだそうで、
私もきっとそうだろうなと思う。

とか言いながら、自分のコトを冷静に見てみると、

ずっと賢くなろうとしていたし
効率重視だし
自分優先だし
人の評価はめっちゃ気にするし
急ぎたがるし
なんや、きれーいに全てが神の望みの真逆やわ。
げっ。

アホは神の望み。
なんだかとってもいい響き。
今からでもきっと遅くはない。
明日からアホへの一歩~!!