食からこころの偏りに気づけたらいいのだけど | 自分が自分のお医者さんになる

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なんとなく幸せな、心地よい毎日を過ごしていきましょう。

食べることに

悩む日々です。

どれだけ暇なのでしょうか。

久しぶりに当直をして、

明けは眠くて食欲コントロール不能、

さらに翌日は体重が増える、

という図式には慣れています。

わかっていても、やっぱり辛くなります。

私が食べちゃうで悩むことになる

自称‘過食’の状態とは、

決して、おやつや嗜好品ではないのです。

大抵、野菜を満腹まで食べます。

料理をしながら、

食べ始めてしまうことが多いです。

料理をしないとしても、

いわゆる「食卓につく」までの間、

ずーーーーっと食べ続けてしまうのです。

体にいいものだし、って周囲の人は言いますが、

本人にとっては、

かなりの精神的負担がかかります。

逆に、

実は料理が苦手なので頑張っているときや

食べたいのに身の回りのお世話が終わらない、

掃除が優先、という時にも発症します。

明らかに、

ストレスのはけ口を、野菜摂取にしています。

「ここにこころの偏りがある」

とご指摘いただいたことと、

卒業に向けてのカウンセリング練習中のため、

テキストを見ながら、掘っていきました。

酷い…

自分でも痛すぎました。

今は、ぽっちゃり体型💦ですが、

子供のことは太っていました。

その時もことを思い返してみました。

共働き家庭でしたが、祖父母が同居していました。

毎日、家に帰るといわゆる「お菓子」が置いてあり、

一日1個は食べていました。

たけのこの里1箱、などという感じです。

きっと、母は、

子供たちに寂しい思いをさせたくないと思って、

お菓子を買い置きするという行動をしたのでしょう。

でも。。

親戚や近所の人には、

「体格がいいね」とよく言われていました。

自分のなかでは、穏やかではありませんでした。

自分が傷つく言葉。

同じ言葉を母が聴いても傷つくのではないか。

お菓子を与えていることに罪悪感を持ってしまうのでは、、。

デブである自分が嫌いだった。

デブであることで母に嫌な思いをさせているかもしれない。

デブな自分なんて、母に好かれるはずはない、

きっと周りの人と同じことを思っているんだ。

なんとなく、

食べることや体重増加を受け入れられない自分は

ここにあるような気がします。

こころが痛いです。

たぶん、

デブだからといって嫌われることはないし、

自己管理できない最低のやつだ、と

言われることもないのでしょう。

愛も評価も失いません。

いま、ここにいるだけで価値があるのですから。

でも、嫌だ!

食欲が自分の欲求だとしても、

食べないを選択したいよー。

自分の心の中に巣食う不全感。

まだまだ、葛藤はつづくのでしょう。