近頃、なかなか多忙でブログを書く時間もなかったなぁ。
毎日の中で、動物に囲まれている生活はもはや空気みたいになっている。
先日に父の納骨が終わり、一区切りがついた様な、ついてない様な。
そういった行事は、残された人の気持ちの区切りをつける為にある事なのかと、最近感じた。
今、恐れているのはうちの愛猫の事。
なんだかんだ言っても、「生」と「死」はどんな人、どんな生物にも逃れられない運命。
ここに載せたニャーちゃんは女の子で
この6月で18歳になる。6月は息子の誕生日で、息子が拾ってきたから誕生日を同じにした。だけで、推定かな。
でも間違いなく高齢猫。
夜中にギャーギャー鳴いたり、後はご飯を欲しがって欲しがって、欲しがって。
何となく、人間の認知症と同じ様な症状が。
認知症の病棟にいた時の事を思い出す。
人間は同じ言葉を繰り返すので、それがすぐ忘れているんだとわかりやすい。
ニャーちゃんも、ご飯ちょうだいの為なら私が家のどこにいても、ずーっとずーっと、訴えてくる。
それが30分置きだと、やっぱり驚いてしまう。
歯が1本、抜けて2年経って毛ヅヤや目の状態や、徐々に年老いていっている。
抱っこが大好きだったのに、最近はそんなに喜ばない。これも人間と同じ。
2年前に、ニャーちゃんの健康診断を受けたら、猫エイズの感染もなしで、年齢の割には健康だと言われた。
採血の時に、凄く痛がって叫んでいたので、なるべく避けたい事の1つ。
人間の採血はそう痛みは少ない。それは、痛覚が感じにくい血管を選んで採血をする。
足の先などは相当痛いはずだけど、入院患者さんなどは血管がない為、足先に針をさす。大抵、言葉は発する事が出来ない人が殆ど。
でも、苦痛な表情は浮かべる。
そういった事からも動物にとっては、採血はかなり痛みを伴うもの。
私が恐れるのは、ニャーちゃんが後どれだけ元気でいてくれるか。
一緒に過ごしてきた何月の重みを考えると、さよならの時が来るなんて考えたくない。
その時の自分を想像すると、どうにかなりそう…
今までさよならしたうさちゃんの時も、3年以上引きずってしまっている。
父も、うさぎのクロとさよならした時は、ペットロスになってしまって…
私は気軽に動物病院にいけない。行く前の日は眠れない。
トラウマがある。
うさぎも何代目か飼ってきていて、寿命をまっとうした場合は沢山の愛情を注ぎ、又、私も助けて貰えた事に感謝し、トラウマにはなっていない。
今の猫達がいる前に、うさぎの「まる」というパンダうさぎがいた。
その子は、割と臆病で誰にでも懐くタイプでなかった。
私には、いつも手をペロペロしてくれたり、抱っこもさせてくれていて、過去に元夫から追い出された時(私は特に悪い事はしてなくて、何でもキレる夫だった為)、まるを連れてホテル泊した思い出もある。
ある時、まるの足にカサブタが出来ていて、なかなか治らないので当時は横浜に住んでいたので、近くの大きな動物病院に行った。
猫や犬は、大抵の動物病院は診れるけど、小動物は調べないと診れない病院もある。
調べて大きな病院に連れて行った。
なかなか順番待ちの時間も長くて、やっと診察という順番になり、診察台にまるをのせた。
優しそうな女医で、体重の計測などしていたら、急にまるの様子がおかしくなり、息が荒くなった。
女医が準備物を取りに、そこから離れた時に一瞬迷った。相変わらず、まるの様子がおかしいので、もう連れて帰ろうかと。
女医はすぐに戻ってきて、その様子を見て「落ち着ける為にアロマ持って来ますね、時々不安の強い子にはそうしますので」と言った。
私も、動物のプロではないのでそれに従うべく、アロマが始まった…
でも、アロマをたいて1分もしないうちに、まるは診察台の上で暴れて、息を引き取った。。。
心臓。舌がだらりと口から出て
完全に心臓マヒの状態で死んだ。
と思った時、沢山の獣医がわらわらと集まってきた。
そこは大きな病院だったので、獣医は沢山いた。
その中から、1人いかにもというお偉い先生が出てきて、「今から蘇りの処置をします」と言うのだ。
ここ、動物病院?
でも、私は既に号泣状態で取り乱していた。
だって、ただの皮膚の事できただけなのに、まさかこんな事になるなんて。
まるは、まだ3歳だった。
その偉い先生、予想するに院長。
手には、五寸釘の様なものを持っていた。
私にまるの額の中心を指差して、ここに蘇りのツボがあるので、今からここにその釘を打ち込むと説明。
私の職業柄、そんな事で生きかえる事はないと確信ありで、泣きながら「それは結構です、体に傷をつける方が可哀想で嫌なので」と断った。
私はまるの体をそっと、キャリーバックに入れて泣きながら会計を済ませた。
こんな事になっても、お金は支払わなければならないんだ…
一応、獣医達は「すみませんでした」と言ってくれたが、待合室を通る時も号泣だから、皆が私を見ていた。
そして、家に帰りひとしきり、かなり長い間泣きはらした。
私は、自分を責めた。
悔やんだ。
翌日、ペット霊園に連絡し、葬儀をとり行う手続きをした。
そして、納骨は近くのペット霊園にした。
暇さえあれば手を合わせに行っていた。
暫く、動物を飼うことは止めると決めた。
これがトラウマとなり、今も消えない。
23年前。
今でも、私は動物病院には1人では行けない。
息子に同伴して貰っている。
だから、ニャーちゃんの今後の事も踏まえて、色々と考えねばならないと思っている。
今も、餌をちょうだいと吠えている。あげるからね、ちょっと待っててね。
認知症だと思う。
でも、まだまだずっと長生きして欲しい。
共に生きていた、心から愛してる。