4月6日にお父ちゃんの納骨が終わった。

昔、何度もお父ちゃんとお墓参りに行った事のある場所。山の上にあり、駅からバスが出ているのに乗り物酔いをするからと、歩いて行って必ず道に迷い辿り着かない。


当時は「キツネに化かされてるんや」と、お父ちゃんは本気で言っていたが、ただの方向オンチ。私も完全に遺伝している笑


その道を今回は車で上り、こんな急な坂道をよく歩いていったなぁとつくづく思った。

時に、父は自転車で行くといって出かけた事もあり、それって途中で自転車押して行ったのだろうと、そのパワーに今更ながら関心した。


この墓は、屋久島の祖父母のお骨をお墓参りしやすい様に、叔父(3男)がこちらに墓を建て、納骨したもの。○○家の墓となっている。


出発時に私はお父ちゃんを車の後ろに乗せて、シートベルトをして「さすがに酔わないよね」と声をかけた。キティちゃんのブランケットをかけて、遺骨だとわからない様に。


関東は、全骨といい全ての骨を骨壷に入れる。だから、骨壷も大きい、重い。

関西は、一部の骨を骨壷に入れる。コンパクトな骨壷になる。


お父ちゃんは、身長153センチと小柄だったけど、最後は大きな遺骨になり、霊園の事務所で「全骨だとさらし布の大きさと値段が変わります」などと、言われこんな時でもお金勘定なんだと思ってしまった。

➕1000円は出せる額なのに、キーキー言われてこっちが驚いたくらい。


そんな事もあったが、お墓まで行くときちんと準備してあり、担当のおじさんがとても親切でほっこりした。「昨日は雨だったのに、今日は晴天で桜も咲いて、いい日になりましたね」と声をかけてくれた。


82歳の叔父とその子供達(従兄弟)と、私と息子の5人で納骨の儀を行った。

私もここの墓にくるのは、20年降りになる。

何も変わってなくて、まるで時が止まっている様だった…


今回は不思議な運びになり、お墓の権利も私に譲渡される事になった為、今後は私がちょくちょくここへ来る事に。それはそれで良い事だ。

祖父母、叔母、父が眠る場所に…

父の兄妹も、今日ここに来ている3男以外は皆亡くなった。

叔父は、自分の家の近くにお墓を購入したとの事。

そこに入ると言っていた。

それがあり、私にこのお墓を譲ってくれた。

墓終いを考えていたらしい。


待って待って、皆が入ってるのに合同墓地とかには入れて欲しくないわ。と心の声が多分届いたんでしょう。とにかく良かった。


帰りに叔父の奥さんが施設にいるから、お見舞いに行く事になった。叔母はもの凄く喋る人で、○○家に嫁いだばっかりに、ろくでもない事ばかりだったと、よく電話をしてきていた人。働きもので、お世話焼き。


施設に着いて、車椅子で連れて来られた姿は、まるで想像していたのとは違っていた。

まず、顔が変わっていて驚いた。


胃瘻をして、寝たきり6年との事。


患者さんでも、胃瘻して10年以上寝たきりの人はざらにいる。でも、皆話しは出来ない。可愛いそうで仕方ない。意思疎通が出来ない。


まさに叔母がそれだった…


叔父が「3年くらい持つかと思ったら、こんなに長くなって…」と言った。


胃瘻とはそういうものだ。

家族は皆、そうやって言ってくる。酷い家族になると「いつ死にますか?そろそろいってもらわないと、財産が…」などと、ナースステーションに平気で来る。そんなのは1人や2人じゃない。


現実とは、厳しくて悲しいもの。


そういう声を聞くと、切なくなる…


私は父の延命は全てしなかった。

延命処置が無意味だと知っているから。


ただ苦しい時間を与えるだけだから。


私は遺骨の一部を持って帰る予定にしていた。

小さなかけら3つもらって、家に戻った。


家のお仏壇にそれを置いた…


お父ちゃん、お墓でお父さん、お母さん、兄妹と一緒で良かったね。

私のしてあげれる事、もうそれしかなかった。


来世があるなら、次は私の子供になって来て欲しい。お父ちゃんは、貧しい家でいつもお腹を空かせていたと言っていた。1日で、さつま芋1切。空腹で眠れなかったと。それは叔父もそう話していた。


私がお腹いっぱいご飯を食べさせてあげるね。


さようなら、お父ちゃん…


娘より


 

 

 

 


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