今日は私の誕生日なのです。

そして、野良君だったロディも今日を誕生日と認定したのです。


だからロディには、後でとっておきのおやつをあげようと思っている。


ここに載せた写真は、私が息子の誕生日に作ったケーキ。今日は息子が買ってきてくれるらしい。


私は手作りケーキにするのは、勿論愛情もあるけど、手間はかかっても買うより安いから。


私は、子供の頃のお父ちゃんとの暮らしの中でかなり良くも悪くも、かなり鍛えられた。


誕生日、クリスマスなど、日本人には関係ないと言って、祝う事などなかった。それはお金がなかったからの様に思う。


かなりの貧乏で、小学生の時は1度も朝食を食べた事がなかった。お腹が空いて困った事は1度もないので、救われたかな。

夕飯は札幌一番味噌ラーメンとご飯。その当時から、ラーメンライスの美味しさを知っていた😋


子供の頃の苦労って、子供だから軽く感じていられる?そんなふうに思う時もある。

よく近所の子供達から「やーい、やーいお母さんに逃げられた子」など、揶揄われた事も多くあった。

当時は、今みたいに離婚する夫婦はほぼいなくて、やたらと目立ってしまっていた。


学校で買う、習字道具や笛やそういった物は、支払い締切に間に合う事がなくて、数ヶ月後に買う事になり、皆と違うデザインになっている事があったりした。


それも、そう苦痛にも感じてなかった様な…

それは、毎月の給食費(現金)が期限内に持っていけなくて、それで慣れてしまっていたかと思われる。先生が「今日、忘れた人〜」という挙手制で私は、毎月手を挙げており、1週間挙げ続けていた。

1週間で一応それは、ストップとなる。それ以降の人は金銭的事情だと、先生も考慮する。


今は銀行引き落としだから、挙手なんてない。

かなり個人が守られている時代になった。


「おやつ」も、家では食べた事がほぼ無かったので

友達の家に呼ばれた時に、ジュースとお菓子を出して貰えて本当に嬉しかったのは、今も覚えている。


おやつの概念は、友達を呼んだら出すものと思っていて、3時におやつを食べる…という事は考えもしなかった。だから、うちにおやつが無くても不自然に思った事はなかったなぁ。


そう思ったら、本当に今は幸せ。


自分で一緒懸命働く、賃金を得る。

そして、好きな物を食べる事も出来る。


自分の価値観が大切だと思う。


私は貧乏だった事は、不幸だと思わない。

むしろ、そのお陰で小さな事であっても凄く喜べる。ペットボトルのお茶を飲める事でさえ、贅沢だなぁって。笑


そして、ペット可の賃貸で堂々と愛しい猫達と暮らせる。


お金ってあっても困らないけど、欲を出せばきっとロクな事はないと思ってる。


色んな人を見てきて、それは実感する。


お金で買えないものこそ、価値がある。


これは絶対。


病気もお金持ちだからといって、ならない訳はない。命もお金で買えない。信頼も買えない。

愛情も買えない。


愛猫達もこの世で1つしかない宝物。これもお金で買えない。


私の誕生日に、改めてそう思えた事、書き記した事、今日がそんな平和な日で良かった!