初めての 春の高山祭  | 東之宮古墳 発掘写真集

東之宮古墳 発掘写真集

犬山市 白山平 東之宮古墳 覚え書 (前方後方墳)

 中部圏に居住 初めて春の高山祭を観光。

海外の観光客と私たち日本人観光客では、この祭りに対する情報力に差があるようです。

 夜祭 キレイという歓声が日本語として聴こえ、ユネスコ採用の意味をNETで知っている海外客は、見つめるのみ。

 まつりには、祝祭と鎮魂の二重の意味がある事を理解していたのは 海外からの観光客の方が多い様です。

 

 高山夜祭を見ながら想起したのは、先月聴いた レスピーギ ローマ3部作。古代ローマ帝国市民が求めた 異言語の民への無慈悲な コロッセウム内の殺戮を伴うアトラクション。

 ヒミコの墓の殉葬、埴輪の起源説話のように 生きたままなのだろうか?   

  ローマ帝国の市民が喜んだのは 異言語の民への 無慈悲な対応、死いう犠牲を求めた。

倭国ヒミコ墓への殉葬も時期的には近い。

 弥生末~古墳前期の北部九州 宇美川、筑後川周辺地区の墳墓には 主体部の廻りに土壙墓が認められるそうした墳墓も存在。

 

 現代日本人の場合 DNA的には関西圏の中国北部~朝鮮半島からの移住民DNAと 多種の血液混合の東北系DNA  そして縄文系DNA  に大別できるようです。   中日新聞 2024.04.16 朝刊

 

 倭国30余国、大陸・半島の外洋航行船舶製造能力とは差があり、胡族が巻き起こす半島・大陸の支配者層の交代劇により 倭国への移住民増加。 

弥生期からの移住民の中には 首狩り族も混じりこんでいたようで 弥生中期後葉以降 北部九州 抗争激化。

 米を食べたい支配者層は 積極的に移住民を取り込み 旧来の縄文系倭人へ 稲作づくりを求めた。

 

 この 米を作らさせられる人と食べる人の分化という構造

江戸時代でも 続いていて 高山地区 支配者層はコメという年貢を求め、百姓層は折檻されたくない為 米を供出していた。 

 

 この高山は 秀吉時代は配下の武将による城下町。

徳川政権下 金森氏国替えで高山城は用済み。1695年この城は破城、以降高山城下町は 徳川の代官支配地。

 

 高山や郡上八幡は 江戸時代に 百姓一揆の勃発地。

飛騨の民は 江戸から派遣の代官に逆らい 時々 一揆。

郡上のように 短期間にせよ 農民自治の国。

 

 江戸時代の 一揆首謀者へ 徳川政権は 磔(はりつけ)斬首・首さらし で対応。

 

 高山祭の山車(屋台)の装飾 仏壇のごとく 金ピカ。 

練り歩く管楽器・打楽器隊の音楽も 夜にふさわしいレクィエム。 

 

 日本の学校教育 奴隷制に無関心なのは 庶民層の願望への対応、それとも 中世社会の奴隷制を知られたくない 支配者層の都合(無知化・衆愚政策)。

 

 春の高山祭の夜祭 富山・八尾の盆踊りと同様 レクィエム