音楽を聴く為のオーディオ機器 1985年の変奏 | 東之宮古墳 発掘写真集

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犬山市 白山平 東之宮古墳 覚え書 (前方後方墳)

 日本のオーディオ機器が 世界制覇の一歩手前までになったのは 1980年代~90年代の初頭。

欧米の映画では 日本製のステレオ装置が 映画セットの一部として映り込み、世界の信頼を獲得していました。

 御承知のとおり 車のメーカーは生き残っていますが、オーディオを含めた家電メーカーは 21世紀 後退を余儀なくされています。

 

 オーディオに関して 1985年前後が分黎期のようです。

三菱ダイヤトーン 3ウェイ DS-1000シリーズから DS-500への変換

ヤマハ 3ウェイ 1000モニターから NS-1 classic への変換

ビクター 3ウェイ SX-511から SX-500 への変換

 

 それまでさんざんPRしてきたハードドームミッドレンジを中核とする3ウェイスピーカーの優位性を急に放棄し、2ウェイスピーカーの音質的優位性をPR し始めました。  変奏期

 実際の音を聴くと 確かに 後者2ウェイスピーカーの方が音のバランスが良く 音楽を聴く道具としては 明らかに後者のスピーカーに適正が有りました。

 

 残念ながら、今までさんざんPR訴求してきた重厚長大3ウェイ、平面スピーカー、新素材、といった各メーカーの販促活動が災いして、オーディオ購入予備軍を洗脳し過ぎていた為、メーカー側からの変革が困難になっていました。  変奏が理解されませんでした。

 

 もし シンフォニーにおいて転調や変奏がない曲は 成り立つ事ができるのでしょうか? 

一方的押し付け ガナリたてる音の羅列を音楽とみなしづらいのと同様、ハードドームスコ-カーが出しゃばるアンバランスな3ウェイスピーカーも オーディオ製品としては 失格の対象だったようです。

 

 やたら分解能力は凄く、全然音楽が楽しめない、聴き手に緊張を強いるそうしたDS-1000系統やNS-1000モニター系統のフラット系スピーカー群や 平面スピーカー軍が販売店を占有し、販売店の音響が砂漠化してしまいます。  

 

 DS-500 NS-1 classic SX-500 にて踏みとどまればよかったのでしょうが、オーディオ市場が縮小化する過程で メーカーは生き残りをかけて、売り易い1000モニ、DS-1000シリーズなどを販売延長させてしまいます。 今まで売れていたという成功体験が邪魔をして、彼らサラリーマン経営者が判断ミスをしてしまいます。

 

ソバの味に関心の無い 蕎麦屋のサラリーマン経営者のようなものでしょう。

 日本のユーザーは 音のバランスが悪い日本製スピーカーに見切りをつけて、海外メーカーが選択されて、日本のオーディオメーカーの販売額が減少します。 そして それ以降 急激に日本のオーディオ市場が縮小。

 

 日本のオーディオ市場を壊したのは、カタログで音が判ると勘違いした、キレイなカタログやイメージ写真に依存した 彼ら 音を聴かない男性オーディオ購入予備軍です。 洗脳したのは メーカーサイド。

 

 平面スピーカー、ハードドームスコーカー3ウェイ、フラットバランスという中高域主体の解像度満点のつまらないスピーカー。 

 日本の家屋という現実を無視した、カタログ上の幻想に夢を見た彼らを お客だと勘違いをしたサラリーマン経営者が 日本のオーディオ市場を破壊してしまいます。

 

彼らは 21世紀も再生産されています。

 けして美味しいとは言えない鯨肉、利権団体からの歪んだ情報から洗脳を受けて、多分あまり口にしていない鯨肉に固執し、アベ政権の洗脳に乗りかかり、捕鯨国際会議からの日本離脱を 彼らは肯定しています。

1933年 国際連盟離脱の状況に近似しています。

 

 ご自分の自宅近くに原発発電所が無ければ、平気で原発発電を肯定できる人格形成。

 高額だけれど さほどおいしくもない鯨肉を無理に 資源簒奪する事が平気な人格形成。

 地下鉄内でヘッドフォンの価格を競い合うように洗脳された、難聴予備軍。

 

 1990年以降 各社 本当の日本のオーディオメーカーが消えてゆきます。

つぶしたのは サラリーマン経営者と 音を聴かずに購入できる彼ら 男軍。

 

 結果として、21世紀の自称オーディオメーカー、安価な商品では 良い音の製品が作れないメーカーばかりとなってしまいました。

 

 

 

 

 

 21世紀 音を聴く道具のオーディオ製品が 日本の場合、限られた彼ら大人族の為に存在する。

 そしてプラモデルを、作る楽しみ・動かす楽しみを子供の手から奪い、一部の彼ら大人族が主導権を握るのは、日本の娯楽が歪んでいる証明なのでしょう。

 

クラシックの演奏会でも 聴衆は ご老人の世界となってしまいました。

 

考古学のシンポジウムでも ご老人の世界になっています。

ご老人向けに当たり障りのない 耳当たりの良い 楽しい考古学。

 私は リアルな歴史が知りたいのですが、口当たりの良い 啓もう書が多く 彼らを再生産する書籍として日本国記がベストセラー。

 

青谷上寺地遺跡や 福岡 金隈遺跡で リアルな弥生時代に会えます。

 

 古墳時代の定義付けで 日本の考古学が避けているワードは、日本の古墳時代は 庶民が埋葬されなくなる時代。

庶民層が墓を失う時代。 この事が伏されています。

 

 音楽 プラモデル 歴史  ステレオ装置etc  こうしたジャンルの入門者が、見かけは大人の 彼ら男族に駆逐され、勇ましい 軍靴が まじかに聴こえます。

 

 平成天皇も アベ内閣に仕切られて 来年4月の何日に 退位させてもらえるのでしょうか?  過剰化する 儀式 

           過剰化する 軍備配備

           相対的に縮小化する 教育費    

 

 子供を知育するプラモデルが 子供の遊びの一ジャンルという位置づけから離脱している日本は 相当重症の様に思えます。

 

 オーディオも同様に、音楽を常時ヘッドフォンで聴く行為が蔓延しているのは 音楽愛好家を結果として減らしている、退行行為のように思えます。

 難聴になり易い道具が売れているというマーケッティングデータだけを根拠に拡販体制をとる自称オーディオメーカーのすべてが モラル違反のように私には思えます。