隣の永田君

『隣の永田君』は、高校時代にいつも一緒だった永田君という友人について書いています。


一応、番号は付けてありますが、基本的に一話完結なのでどの話から見ても分かると思います。


『~編』とついた話に関しては、続いているのでそのシリーズの先頭から見ていただければ話が繋がってくると思います。

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隣の永田君vol.39~流行は人より後にやっくる~

昔から、流行に敏感だった僕と永田君・・・

ではなく永田君の彼女=永妻。

パソコンが、そんなんに盛んでいなかった学生時代。

テレビや雑誌で色々と情報を集め、

「これ流行そうだよね!!」

とか、

「次、絶対これ来るよね!!」

なんて話を永妻と良くしていた。

特に永妻の嗅覚は、鋭く、たまごっちが大ブームを起こす大分前から、たまごっちを所有していた。

そこで面白くないのが、永田君。

1人だけ会話に入れないからすぐにふてくされる。

でも僕と永妻は、ちゃんと永田君に、

「これ面白いから見てみな!!」

とか

「これ次来るからチェックしときな!」

なんて親切に教えている。

しかし永田君は、

永田君「あっ!?うるせーよ!!」

と突っぱねてどこかに行ってしまう。

結局、話の輪に入れないのではなく入らないのだ。

そんな時は、決まって永妻とフォローをするのだが、

永田君「流行なんてダセェよ!!」

としきりにつぶやいている。

全く人の話を聞こうとしない永田君だが、何日かすると・・・



あれ??

前に教えてあげた流行のグッズを持っている。

前に教えた話を人にしている。

あたかも自分が見つけた事の様に振舞う永田君に、僕と永妻がツッコミを入れると一言、

永田君「知ってたよ・・・(持ってたよ・・・)」

あきれて言葉の出ない僕と永妻。

あれから6年以上も経つが未だに同じ様な事をやっている永田君。

「知ってたよ・・・」

今夜もどこかでそんな声が聞こえる。

■当時の僕の日記には

・結局、僕と永妻が仕入れる情報はかなり早い為、結果的には永田君も流行に敏感な人だと思われている。

・たまに永田君から、

永田君「この映画ヤバイから絶対観て!!」

って映画の解説と必ず観るように念をおされる。

この間、たまたまご縁があり永田君がお世話になっているバイクショップのBBQに参加させて頂いた。

そこで1人の格好良い先輩と映画の話をした。

永田君が以前に言っている事と全く同じ事を言っていた。

情報源が、ここだと確信した。

・天性の嗅覚を持つ永妻。

いち早く所有していたたまごっちのカラーは、当時、もっともレアと言われていた白。

しかし人より優れたセンスが災いしてブームの時、既に、白いたまごっちが手垢によりピータンの様なカラーになっていた。

ずうずうしくも一言、

永妻「これ今、スゲー高く売れるんだよ!!」

誰も買わないよ。

と記されていた。

隣の永田君vol.38~永田の彼女を紹介します。~

高校時代、僕と永田君は、何故か先輩方から可愛いがられていた。

もちろん1度もトイレに呼ばれた事もないし、焼きソバパンと牛乳が買いに行かされた事もない。

3階から1階までも短い距離でもパシられた事のない僕と永田君だが、片道2時間、交通費2000円(自腹)の距離を1度パシられた事がある。

永田君の彼女に。

永田君の彼女、通称・永妻と僕は、中学の時、隣の席になった頃からの付き合いで未だに続いている腐れ縁だ。

高校に入って、永田君が入学して来て、僕と永妻の間に加わり今の関係になった。

高校2年の頃、ギャルブームの煽りを受け我が校にもギャルの風が吹く。

学校に来ればルーズにSDHのバック、アルバの買い物袋を言うのが主流であった。

もちろん永妻も例外ではなく、3人で遊びに行った時、かなりの厚底ブーツを履いて来て僕と永田君を驚かせた事がある。

僕と永田君は、ギャルはNGだった。

今も昔も好みは、代官山に歩いている様な女の子だった。

当時の、僕と永田君のストライクな女性は、ポーターにグレーのパーカー、そしてVANSを履いている女性だった。

しきりに永妻にその旨を伝えても全く聞き入れてくれはしなかった。

ある日、僕と永田君が、それぞれのアイテムを持ち寄って、メンズサイズだが、永妻に着せてみた。

これが予想以上に似合っており僕と永田君は、大絶賛した。

元々永妻は、スタイルも良く顔も良いので大抵の服は、似合う。

永田君も、

永田君「ペチャパイ以外言う事ねーよ!!」

と未だに言っている。

この賛美に気を良くしたのか、はたまた厚底ブーツを履いて来て依頼、僕と永田君に、

2人「巨人兵!!」

と呼ばれるのが嫌だったのか、渋々VANSを購入する事を決意した。

週末、2万円を渡され、好みの色とサイズを聞かされ上野まで行かされる僕と永田君。

でもそこに。パシられた事に対する怒りは無く、やっと好みのスタイルになるとウキウキしている永田君がいた。

2時間かけて上野につき早速、ABCマートへ

狙いのカラーにロックオン。

サイズを尋ねると・・・

そのサイズだけなし。

通常なら諦めがつくがなんせ片道2時間もかけて来た手前、手ぶらでは、帰れない。

すぐに永妻に電話する。

永妻「今日は、何もないから電話出れるよ!」

その言葉とは、裏腹に繋がらない。

仕方ないので

大山と言う立ち食い出来る焼き鳥屋で焼き鳥をほおばりながら連絡を待つも、一向に連絡がこない。

僕「あいつまさかカラオケとかやってるんじゃねーよなぁ!!」

永田君「はは!!それはねーだろ!!だって今日は、ちゃんと家にいるって言ってたし靴が無かった時連絡するからって伝えてあるし。」


結局、待てども連絡が、無いので僕と永田君が、次にチョイスしたスニーカーを買っていく事にした。

帰り道、

僕「第一希望は。無かったけどこれ絶対喜ぶよなぁ~!!」

永田君「間違いねーだろ!!」


意気揚々と、帰路に着く。

週明け、買って来た靴を見せると渋い顔。

永田君「しかたねーだろ電話つながんなかったんだから!!」

永妻「それでも買う前に言ってよ!!」

と応戦する。

僕「いや~スゲー電話したんだけど全然繋がらなくて2人して焼き鳥食べながら、あいつカラオケでも行ってるんじゃね~??って話していたんだよ!!」

永妻「えっ!!」



永田君の握り締めたコブシが静かに震えていた。


■当時の僕の日記には

・結局、ふて腐れてその後、数ヶ月は、買ってきたスニーカーを履かず、巨人兵で頑張っていた。

・今では、その時、僕と永田君が選んだスニーカーがお気に入りになり、こないだ2代目を購入していた。

・以前から、再三

永妻「私の事は書くな!!」

と言われていた。

多分、明日から、封筒と便箋が僕の唯一の彼女との連絡手段になるであろう。

・結局、永田君は、そんな彼女と7年近く続いている。

そして未だにベタ惚れしている。

一体、いつ結婚するのであろう・・・?

・はたして式に、僕は呼ばれるのか?

と記されている。

隣の永田君vol.37~パーマに憧れて~

高校時代の僕と永田君は、全くモテなかった。

今もモテない。

そんな高校時代、永田君は、モテる為にガングロになろうと日サロに行って黒くならず赤くなっただけで終ってしまった過去がある。

結局、自分の土俵を越えて流行にのろうとしても僕と永田君は、やっぱりモテないんだ。

はっきりと事実を突きつけられた瞬間でもあった。

それからというもの永田君は、流行に走らず今まで通り限界を超えた肌の白さを保ちながらいつもの様に、毎日を過ごしてた。

丁度、その時、世はまさにキムタクブーム。

野球部を緊急退部してから坊主だった永田君の髪が徐々に伸びていた事にあまりにも近くに居過ぎて気づかなかった僕。

ドラマ『ビューテルフルライフ』や『ラヴジェネレーション』の大ヒットにより加熱するパーマ熱。

雑誌のスナップには、パーマをかける人達。

僕は、常にボーズだった為、流行にのりたくとも髪が伸びる頃にはブームは去っている予感。

永田君は、良い塩梅の髪の長さ。

数日後・・・

やりやがった。

永田君の髪が外はねしている。

!!

全然似合っていない。

例えるなら、和製バッハ。

永田君は、極度の和顔の為、パーマが完全に浮いているのだ。

しかも初のパーマにテンションが上がったのか同級生に、

永田君「どうこれ?」

と迷惑な質問。

同級生「個性的。」

大人の対応。

「変」

その一言が言えない苦渋に満ちた顔の同級生達。

この日、滝廉太郎に継いで有名な音楽家(見た目だけ)が僕の心に刻まれた。

■当時の僕の日記には

・やっぱり流行を求めると良い事がないと言うのをこの日痛い程思い知った。

「個性的。」

コメントに困った時に良く使われる言葉。

永田君は、この言葉の本当の意味を知っていた。

でも高いお金を払って折角かけたパーマ。

しきりに、

永田君「目が慣れていないだけだよ!」

と呟いていた。

・校則のゆるかった我が校であったが、さすがにパーマはダメだった。

パーマをかけた同級生が次々に怒られ、直させられる中、永田君には誰も注意しなかった。

先生の優しさを知った。

と記されている。

隣の永田君vol.36~永田君の謎~

高校時代の僕と永田君は、本当に頭が悪かった。

周囲は、笑いを超えて引いていた。

少しでも式を書けば1点位貰える数学のテストで、0点を取ったのは恐らく僕と永田君だけであろう。

そんな僕と永田君が最高に輝ける科目。

体育

僕は、球技とマット運動は、苦手であったが陸上競技は、学校の代表を断れる程、優秀であった。

永田君は、全ての競技に対し万能で、特に野球は、甲子園準優勝に輝いた学校からお誘いを受ける位の選手だった。

確かに、たまに体育の時間、予告した場所に打球を綺麗に打ち分けていた。

そんな永田君であったが唯一、短距離走が遅かった。

世間一般の平均タイムより明らかに遅い。

一度、僕が、

僕「なんで短距離だけそんなに遅いの??」

と聞いた所、

永田君「あっ?知らね!」

一蹴。

高2の体育際。

我が校の体育際は、赤組と白組と言うよりどちらかと言えば陸上大会に近い形であった。

全員競技がいくつかありその他に個人の選択競技があった。

僕は、短距離とクラス対抗リレーに出場。

永田君は、短距離とハードルに出場していた。

短距離走、永田君は、合えなく予選落ち。

僕は、校内2位と言う好タイムで決勝の舞台に上がり、決勝のスタート同時に転倒。

見事、最下位を獲得した。

肩を落としながら自分の席に戻ろうとするとハードルの決勝が行われようとしていた。

俊足で名を連ねる先輩方の中に、ひとすじの光。

いや、もやし。

なんと永田君が出場している。

予選で他の選手に毒でも盛ったか??

そうこうしている内に、

「パン!!」

乾いた音と共に一世にスタートするハードル決勝。

次々に、ゴールテープを駆け抜ける選手。

結果

3位 永田

■当時の僕の日記には

・ハードルと短距離は、別物だが、明らかに短距離のタイムから想像出来ないタイムをハードル走で叩き出していた。

・何故、ハードル走が、早いのか本人にも分かっていない。

・バスケットやサッカーで、短距離走は、遅いけどボールを持つと早くなるというのは聞いた事はあるが、ハードルを並べられて早くなったというのは聞いた事がない。

・僕と永田君が高校3年時に、永田君が誘いを受けた高校が甲子園で準優勝した。

僕「今頃、この高校行っていたら同じ舞台に立ってたのかもな!」

と言ったら

永田君「ここ文武両道だからこの高校行っていたら今頃、学校に在籍してないよ。」

と言っていた。

もっともな意見だ。

と記されている。

隣の永田君vol.35~思い出写真~

高校時代の僕と永田君が常に持ち歩いていたもの。

それは・・・

教科書

ではなくて、

使い捨てカメラ

行事も何もないのに毎日学校に持ってきてはあちらこちらで色々と写真を撮り、現像してはその写真を見て2人でツッコミを入れて笑ってる。

そんな事ばかりしていた。

時を同じくしてプリクラが大流行していた。

もちろん僕と永田君が、食いつかない訳がない。

毎週休み明けの月曜日にお互いの撮ったプリクラを交換しそれにもツッコミを入れ楽しんでいた。

いつからか写真やプリクラをいかに面白く撮るかと言う所に重点が置かれ始める。

段々と乱れていく写真やプリクラの中の僕と永田君。

次第に、クラスの友人達も真似をしだし、いかに自分の撮った写真やプリクラで人を笑わせられるかでその人の真価が問われた。

出し尽くされた面白いと思うポーズや面白い物との、面白い場所での写真の数々。

どれも慣れてしまえば面白い写真では、無く変な写真で終ってしまう。

何年も先まで人を笑わせられる写真やプリクラを残したい。

そう考えた僕と永田君が、たどり着いた面白い写真やプリクラの究極型。

変顔

ただの変顔では無い。

思いっきり白目をむき出しに普通の場所で普通に撮る。

明らかに笑わせようと必死にポーズをとったり面白い場所で写真を撮ろうとする他の生徒。

そんな他の生徒とは一線を引くシュールな笑い。

これが大ヒットだった。

普通の景色で普通のポーズ。

あれ?

おかしいな!

と良く見ると白目。

回りとのミスマッチが最高に笑いを誘った。

しかしこの写真は、諸刃の刃だった。

数枚の内、何枚かは、あまりにも面白すぎる為、授業中に吹いてしまい怒られる危険性がある為封印された。

高校3年。

卒業まであと3ヵ月と言う所でこの境地にたどり着いたの僕と永田君はその後、撮られる写真やプリクラのほとんどをこの顔でやりきった。

■当時の僕の日記には

・つい先日、写真を整理していたら偶然にも封印された写真やプリクラを発見した。

何年ぶりかに見てもやっぱり吹いてしまいすぐにしまった。

また何年後かに吹こうと思う。

・高校1年の時、変顔していないのに永田君の顔が変な顔だった。

良く見たら元々、永田君は変な顔だった。

・彼女とプリクラを撮る時も、変顔をやりきっていた永田君。

プリクラの撮る時のタメの時点で変顔で待っている永田君の姿に堪えきれず吹いている永田君の彼女が写っているプリクラがある。

メッセージにはキチンと「堪えきれねぇ」と書かれていた。

・結局、卒業までの3ヵ月、1番思い出として残したかった時期にこんな事をやっていた為、輝かしい思い出の写真のほとんどが、エクソシストで悪霊にとりつかれた人の様な顔になっている。

と記されている。
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