こんにちは。
ハイ・パイン・サンキュー!です。
いつもとなりのかがわさんをお読みくださり、ありがとうございます。

 

もう少し緩やかに気温が下がってくれればよいのに、と思うほど朝晩は冷え込みました。

10月がなかったかのように早足で秋が過ぎていきます。

 

しかしながら、どの年でも秋の幾日かは、とても印象に残るような秋の一日となることがあります。

子ども時代であれば秋の遠足や運動会、大人になってからは仕事や旅先での晴天などが記憶に残っているようです。

続いているのでやや「また…?」と自分でも思うところもありますが、今回の瀬戸芸秋会期2016は子どもと二人で行ってきた粟島です。

小学生になると春の運動会、秋の文化祭というのがあるようで、それぞれ土曜日に開催されると、平日が振替休日となります。

以前にもまんのう公園(と古墳)おもちゃ王国からの帰りのフェリーなんかもそういうタイミングなのですが、この秋は瀬戸芸について来てもらいました。

子どもは別に一緒に行くのが嫌とは言わないのだけれど、それは遊園地などに比べたら魅力的には思えないかもしれません。

「船に乗って冒険」とか「前にやったスタンプラリーみたいな感じ」など巧みに?関心を引きだし、昼前の船に乗れる時間に出発できました。

とても良い天気だったこともあり、とても美しかった粟島の雰囲気や、子ども連れで瀬戸芸行ったらどんな感じだろうか、そしてそもそも粟島ってどうやって行くの、なんていうことに興味がありましたら、どうぞお読みください。

 

粟島・西浜海水浴場

三豊市詫間須田港へ行くための経面臨時駐車場

それでは、いつも通り粟島の場所から見て行きます。

僕も書きながら気がついたのですが、どうも「粟島(あわしま)」の「粟」の字が「栗」に似ているから「栗島」と書いてもあまり変わらない気もしてきます。

余計なお世話かもしれませんが、「栗・くり」ではなくて「粟・あわ」です。

 

 

ちょうど前回の高見島へ多度津港から行った際に思ったのですが、西の4つの島はそれぞれ自治体が異なります。

本島は丸亀市、高見島は多度津町、伊吹島は観音寺市、そして今回の粟島は三豊市になります。

まあ、かがわの方以外から見ればほとんど同じように見えるかもしれませんが、行ってみると人も含めて何となくその雰囲気というか、なるほど少しだけその違いがあるのがわかるような気もしてきます。

良い意味で競い合っているというか、自分たちのエリアを代表する島という意識を持っているようなそんな意気込みを感じます。

 

もう少し拡大して見ると、僕も知らなかった航路が見えてきます。

 

 

丸亀港、多度津港までは行って利用したことがあるのですが、粟島へ行くのは初めてなので、何となくこの辺から、というのは知っていても、具多的にどうやって行くのかはよくわかりませんでした。

予習、復習でとても細かく、今回も参考になった瀬戸内国際芸術祭2016公式ガイドブック

 

 

270、271頁には粟島へ行くには「須田港」か「宮の下港」から行くので、駐車場と港の間は無料シャトルバスやコミュニティバス(100円)で往復してください、という内容が記されていました。

なるほど、それほど大きな港ではないから、車で来られても停めるスペースがありませんよ、ということなのでしょうね。

確かに、地元の方は別にして、普段は詫間須田港に用事がある、という方は少ないのかもしれません。

何となく旧詫間町中心部の地理はわかるので、昔の町役場「三豊市詫間支所」や「たくまシーマックス」などをカーナビに入れて出発です。

高松からは高速を使うと1時間、使わないと1時間15分ほどで到着です。

詫間の街に入っていくと、道はもう瀬戸芸の旗だらけ、という感じで、粟島じゃなくてここが会場なのではないか、という雰囲気です。

「臨時P」という青い看板に従って車を走らせます。

 

 

わかりやすいか、そうでないかと言えば後者の方です。

普段ほとんどの方がこの駐車場の場所には行かないだろうから、行ったことのある方、慣れている方以外の初めての方は、地図を見てもなかなか難しいかもしれません。

看板や瀬戸芸の青いフラッグを頼りに、どうぞお気をつけて運転してください。

 

 

駐車スペースは広くて、停められないという心配はなさそうです。

シャトルバスが停まっていて、「経面臨時駐車場」(けいめんとよむのでいいのかな?)とあったので、そういう地名なのだと思います。

このバスに乗って須田港までは約10分。

車の次は船かと思っていた子どもは「えー、バス?」なんて言っていましたが、途中で買ったおにぎりを一緒に食べながら持ちこたえましたが、バスは結構左に右に走るので、短い時間でしたが少し酔ったと言っていました。

須田港から粟島へ

バスが到着すると、流れる様に港に案内され、自販機で乗船券を買ってください、と言われます。

この港の建物自体も作品だということなのですが、船が出る間際なので、観たり、写真を撮ったり、スタンプを押したりする暇は全くありません。

 

 

ほどなく乗船が始まり、乗船券を渡さなければいけないので、慌てて撮ります。

大人は粟島まで片道330円、小人は170円だったと思います。

往復で買ったのですが、特にそれで料金が変わるようなことはなかったと思います。

 

 

桟橋を渡って、旅客船に乗り込みます。

子どもはもっと大きなフェリー(小豆島行くらいの)を想像していたようで、「うどんとかのフェリーじゃないの?」なんて言っています。

そう、船にはいろいろあるんだよね、と僕も知らなかったからそれが冒険だよ、なんて言ってきかせます。

どうも船内でゆったりお菓子を買ったり、食べたり、できると思っていたらしく、ここでもあらかじめ用意したチップスターを開けたら満足していました。

これまでであれば、後ろのデッキで出航の写真や動画を撮るのですが、今回は座っているので、撮っていません。

乗船の時、船内の雰囲気のみです。

 

 

 

高見島のフェリー同様、真新しい船でした。

もし瀬戸芸に関連して定期的に船が新しくなっていくのであれば、それはとても大きなサイクルの変化で、面白いところだなあ、と思います。

小さい航路に就航した新しい船やフェリーって何だかそれに乗るだけ嬉しい気持ちになります。

 

もうほとんど乗ったら着く、くらいの時間で粟島に到着です。

 

 

乗るのと下りるのに精いっぱいで、船の名前もわかりませんでした。

こう考えると、船のことに何となく自分でも興味があるんだろうな、と後から感じました。

 

さて、粟島ですが、ちょっと変わった形をしている島です。

東側には志々島(ししじま)がありますが、今回は色を付けたエリアしか行っていないので、東側(瀬戸大橋の方向)の様子はよくわかりませんでした。

 

 

もちろん港へ着いたら、どの作品からまわっても良いのですが、僕たちはこの日何となく疲れる前に遠くから、という感じで進みます。

浦島太郎の砂浜から「Re-ing-A」

粟島の作品を事前に調べて行ったわけではないので、何があるのかはよくわかりませんでしたが、とりあえず皆さんが行かない方向、看板の遠くの方からという気持ちで進みます。

 

 

港から西の浜辺へ行く道なのですが、舗装されているものの、ちょっとした坂道になっています。

 

 

前の人がいなくなり、後ろの人もいなくなり、本当にこの先に作品があるのだろうか、という程人の気配がなくて、2人で行くちょっとした冒険のような気分です。

ところどころにベンチがあって、休憩しながら歩けるようになっていましたので、ところどころ休憩ができます。

子どもは大きなクモをたくさん見つけては「ぎゃあ、むしー」(虫が苦手)と言っていましたが、よしそれなら早くここを抜けようと、急ぎ足で歩きます。

山を越えて、再び集落が見えてきました。

 

 

あの正面の道まで行けば、きっと海が見えるに違いない、というほどくっきり海と空が分かれています。

そして、抜けてみると…、

 

 

おお、なかなか素敵な砂浜です。

堤には隣の国から来た若い方がとても熱心に写真を撮っていました。

そのうち、この歌をその三人で歌いだしたから、そうか、確かにここで浦島太郎が現れても何の不思議でもないな、という感じ。

 

 

そうでした、詫間は浦島太郎の地の一つですが、それが島じゃなかったなんてこともないので、もしかしたら粟島がそうだったのかもしれない、と外国の方に教えていただいた気分です。

自分たちの住んでいるかがわにふらりと海外の旅人が来ていて、砂浜で楽しそうに歌っているなんて、とても素敵な光景です。

海外の方がごく当たり前にそこにいても何も不思議ではない、という感覚を子どもに体験させられるのは、瀬戸芸の大きな効果の一つです。

 

おっと、そうでした瀬戸芸の作品も忘れてはいけません。

 

 

作品No. 157 瀬戸内海底探査船美術館プロジェクト「ソコソコ想像所」「Re-ing-A」

日比野克彦
Artwork No. 157 Project for the Museum of Seabed Inquiry Ship in Setouchi / SOKOSOKO SOZOSHO. / Re-ing-A

Katsuhiko Hibino

 

海の底で収集したレンガで象を作っているようです。

海岸沿いには象についての説明もありました。

 

 

一文字ずつ描いているパネルが海岸沿いに並んでお話になっていました。

 

最初はふうんと二人で見ていたのですが、砂浜の方へ降りてみると、キラキラと貝殻が落ちているのを発見。

「貝がらがあるよー」なんて言ったら、子どもは夢中で拾いはじめました。

 

 

 

 

僕も貝を拾いながら写真を撮りました。

ウムム、あまり大袈裟に言ってはいけないけれど、僕がかがわで見た砂浜の中ではここが一番でした。

近所の方が丁寧にゴミを拾っている姿も見えましたが、砂浜の広さや海の透明度、波の穏やかさなど、たくさんあるかがわの海辺の中でも、僕はこの砂浜は特別に美しい場所だと感じます。

もし砂浜や海の景色が好きならば、僕は迷わずここに来ることをお薦めします。

 

もう30分も経つけれど、子どもが貝を拾うのを止めようとしません…。

まあ、時間はあるので楽しければゆっくり楽しんでほしいと思いますが、一応砂浜の端から端までね、と言っておきます。

後で聞いたら、「誰にも邪魔されないで、好きなだけ綺麗な貝がらを拾える砂浜」だったのだそうで、嬉しそうにビニールにたくさんの貝殻を入れていました。

子どもにとっても楽しいことがあって良かったです。
 

過ぎ去った子供達の歌、思考の輪郭

もちろん浜辺にて、じっとして時間を過ごしていても良いのですが、「スタンプがここにはなかったから、あるところへ行こう」と誘って来た道を戻っていきます。

地元の方から「どこからきたん?」と尋ねられますが、僕一人だとそんなことはなくて(それはそうだ)、子どもと一緒だと話しかけやすいんだろうな、と感じました。

 

看板に従って歩いていくと、小学校と思われる校舎が見えてきました。

ちょうど昼休みなので、子どもたちが賑やかに騒いでいる声が道から聞こえてきます。

プールの脇を抜け、「ふふふ、今日は平日だから粟島の小学校は普通の学校の日だよ」なんて言いながら学校の正門を見ると…、

 

 

ウウウ、ここが作品の会場だったのですね…。

子どもの声がしたので、学校はないのでしょうか?

 

 

ちょうど前を行く方はいるけれど、小学生の姿は一人も見当たりません。

いや、一人います。

僕の子だけがそこにいました。

 

 

画像ではお伝えできないのですが、中からは賑やかな学校の休み時間によく耳にした騒がしい声がしています。

どうもここの小学校は閉校になっていて、聞こえるのは子どもの声だけ、ということのようです。

これには素直に親子でびっくりしました。

だって、小学校から声がしていたので。

 

 

作品No. 162 過ぎ去った子供達の歌 ムニール・ファトゥミ
Artwork No. 162 The song of the children all Gone Mounir Fatmi

 

幾人かのかつての小学生たち(そんなに卒業してから時間は経過していない年齢の)は「何だか怖い」なんて言っていました。

確かに、僕も当初の賑やかな声と、がらんとした空間を見ると少しそんな気持ちもしましたが、子どもの方は全くそんな感じではありません。

「ちょっと怖くない?」と聞くと、「全然、普通の学校だから」と言っています。

そうか、そう言われてみると展示の内容もこの学校に子どもたちがいた頃の活気を思い起させるような内容になっています。

 

 

そして、廊下の方から何だかそれはそれはリアルな子どもたちの声がするな、と思っていたら…、

 

 

 

なんだ、実際に幼稚園の子たちが観に来ているではないですか。

スピーカーの音と実際の声とが混ざってしまっているものの、リアルだなあ、と感心したのは本当の子どもの声だったようです。

 

 

最初は幻でも見ているんじゃないかと(いや、それは向こうも同じでお互い様かも)思いましたが、確かに小さい子たちがいたようです。

これには僕も子どもも再びとても驚きました。

 

 

音楽室ではピアノが弾けるようになっていて、学校の校歌なんかも流れていました。

鼓笛隊の楽器や大太鼓なんかを見ていたら、10月の天気の良い日には、運動会なんかが行われていたのだろうな、と想像しました。

 

 

まあ、多くの方が学校に人がいないことを「こわい」と感じる気持ちもわかるけれど、素直に一つ一つの展示を見ていると、それ以上の意図を感じることができる作品でした。

多くの島でかつての学校を会場にした作品がありますが、その中では僕はこの作品が最も印象に残りました。

 

さて、小学校の次は幼稚園です。

いや、順番的には幼稚園に行って小学校なのかもしれませんが、僕らはその順で行ったというだけのことです。

 

 

どうする?この幼稚園に入っていく?と思わず子どもに問いかけた入口です。

 

 

でもちゃんと道があるから大丈夫。

 

 

なるほど、入ってからわかったのですが、園庭の草で中が見えないように配慮されているのですね。

靴を脱ぎ、スリッパに履き替え、中に一歩入ると外とは別世界に。

 

作品No. 161 思考の輪郭 エステル・ストッカー
Artwork No. 161 Contours of Thinking Esther Stocker

 

この感じはどこかで見たような、と思っていたのですが、ガイドを見ると宇野の駅も手掛けている方のようです。

左右の部屋、かつての「もも組」と「あじさい組」だったと思います(子どもが「ふじ組」だったと…)が、スリッパを脱いで中に入ります。

 

 

 

 

 

ホウホウなかなかオシャレな感じの場所だなあ、と僕は眺めていたのですが、そんな雰囲気はお構いなしに、子どもが枠に入って遊んでいます。

なるほど、普通大人は入りませんね、その枠には。

しかし、その枠に入って遊んでいる姿を見ていると、何だかこの幼稚園で作られた立体や直線が、かつてのそうした雰囲気を表現しているように思えてきました。

断然年齢が幼稚園の方に近いからね。

 

続けて隣の部屋に行くと、

 

 

 

ここでもどうも枠に入って写真を撮って遊ぶ、は続いていたようです。

おそらくこの幼稚園に、あるいはさっきの小学校にかつて通った方たちは、一番は元の通り使われていることだろうけれど、閉まった後に取り壊されるより、こうしてアート作品となり、世界中の方が見に来るというのも、なかなか悪くないだろうなと思います。

いや、むしろこれはとても羨ましい。

 

 

どうぞ躓かないようにご注意ください。

 

 

 

さて、粟島の作品を観ている途中ですが、一度前篇はここまでにしたいと思います。

今こうして振り返っていても、書きやすいので、とても楽しかったなという気持ちになってきます。

作品を通して、子どもの視点から、いろんなものを見たような、そんな粟島の前篇でした。

 

※2018年9月追記

この記事を書いた当時は、そんな風には思っていなかったのですが、僕にとっては、粟島が一番でした。

画像なんかの訂正をしながらあらためて見直して感じたのだけれど、瀬戸芸2016の中ではこの記事と次が僕のベスト記事です。

浜辺の歌のこと、学校に本当に小さな子がいたこと、エステルの枠に子どもがおさまったこと、どれをとってもこれ以上のことはないな、という一日でした。

後篇の午後の光に照らされて観たアート。瀬戸芸2016秋会期・粟島(後篇)も、漂流郵便局で作者を見かけたことなんかを含めて、この2篇が一番思い出に残るものだったことを、記しておきたいと思います。

※追記終わり

 

後篇は疲れた子どもを何とか励ましつつ、漂流郵便局や旧粟島中学校、海洋記念公園あたりを観てまわりました。

またよろしければ、後篇も引き続きお読みください。

 

それでは、今日はこの辺で。

 

いつもお読みいただき、ありがとうございます。

 

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