がんばろう東北3
最近ツイッターやフェイスブックにかまけてブログの更新が滞っておりますことを深くお詫びいたしますが、別に反省はしてません( ̄▽ ̄)=3
さて・・・5月13日(金)から、九州地区協議会の防災担当委員会を中心に宮城県亘理町に
僕はこの度、3度目のみちのくひとり旅です。(もちろん一人ではありませんよ)(;^ω^A
マイクロバスに食材と機材を積み込んで約16時間の長旅です。
運転していただきました藤木委員長、大分詫磨商事の山内さん、垣迫さん本当にお疲れ様でした。
昼の13:00に山門JCを出発し、僕は14:00に古賀SAで拾ってもらいました。
ちょこちょこ休憩を入れながら、夜中の3時過ぎに栃木県佐野SAに到着。
そこで3時間くらい仮眠し、10:00に郡山に。
郡山では日本JCの理事会と東日本大震災対策本部全体会議が開かれました。
僕はここで下してもらい会議にオブザーバー出席。
福井会頭は「1951年5月27日、日本JCがJCIに承認されたときの会頭がフィリピンから輩出のロザリオ先輩、60年経ってこの日をフィリピンで迎えるのは決して偶然ではない運命を感じる。震災があったがASPACにも行く。サマコンも全国大会もしっかりとやる。今年は復興と今までどおりのJC活動の2足のわらじをはく必要がある。ひとつの目標として名古屋の全国大会で4万人のメンバーと「復興頑張ったね」と酒を酌み交わしたい。」と熱く心に残る会頭挨拶でした。
相澤直前は「今何にも知らないで東京駅や広島駅に降り立ったとして、そこがたった65年前に地平線が見えるほど焼け野原になった東京や原子爆弾を落とされた広島とは誰も想像がつかないほど復興を果たしている、そこに人間の営みの強さを感じる。東北にある樹齢1千年の桜は千回この地で花を咲かせ世の中を見てきたのである。」
議案を上程する小田委員長(北九州JC)、理事会ではサマコンの議案が審議されました。
そのころ宮城県亘理町では豚丼の準備。
避難所の皆さんも一緒に手伝ってくれてワイワイと順調においしい豚丼が出来上がります。
理事会を終え、時会長、橋本顧問とともに東北地区植松副会長(仙台JC)に車で送っていただき駆けつけました。
帰るときにはほぼ全員が避難所から出てきてくれて名残惜しそうに手を振りながら見送っていただきました。
その時は、僕も藤木委員長の胸にもグッと来るものがありました。
車で何時間もかけて行って、炊き出しを
JCは効率だけでは語れ
確かに大変でしたが避難
本当に来てよかったと心の底から思いました。
現在九州地区内多くのメンバーが炊き出し、人的支援など様々な形で東北支援に入っています。
少し時間はかかるかもしれませんが、確実に復興に向けて前に進んでいます。
絶対にあきらめることなく継続的に支援していくことを固く誓います。
帰りは所要のため僕は羽田で降ろしてもらい飛行機で。
機内ではさすがに疲れて爆睡。
そこで僕は通路側の席だったのです
声が聞こえにくい機内で顔を近
しかし一方へ
僕はビクッとして
なんてことはとて
*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆
絢人&千尋の結婚式o(゜∇゜*o)(o*゜∇゜)o~♪セントチヒロノカミカクシジャナクテ~
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