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トナカイの独り言

独り言です。トナカイの…。

 ブラームスのピアノ協奏曲第1番について、いろいろなところで書いてきました。
 70年近い人生のさまざまなところで、何度も救われてきた曲だからです。

 さんざんこの曲を聴いたきたので、もう一年か二年も前のことになりますが、思い切ってオリジナルとなった2台のピアノによる演奏CDを買ってみました。
 

 買ったのはこちら。

 

 この演奏に圧倒されたのです。
 ふたたび心の底から揺さぶられました。
 そして、それまであまり知らなかったリーリャ・ジルベルシュテインに興味を持つようになりました。まずブラームスに続いて聴いたのはベートーヴェンの熱情ソナタ。そしてグリーグのピアノ協奏曲でしょうか。これらも素晴らしい演奏でした。

 彼女が多く演奏するリストはまだ聴いていませんが、リスト自体にそれほど深い興味を持っているわけではないので、書けるような知識を持ち合わせていません。またアルゲリッチと数多く共演しているようですが、アルゲリッチにもそれほど惹かれたことがないので、書けるような思い出はありません。

 しかし、ジルベルシュテインのラフマニノフを聴いた時、これは一度書いておかなければ・・・・と感じざるを得ませんでした。
 なぜなら、それまでわたしにとってのラフマニノフ(2番)はリヒテル一択しかなかったのですから。しかし、ジルベルシュタインを聴いて、リヒテル盤に並ぶほどの感銘を受けたのです。しかも、わたしなら選ばないであろうアバード指揮のライヴ録音で。
 加えて、3番はこれ一択の音楽記録となりました。

 

 リーリャ・ジルベルシュテインはわたしにとって、もっともっと演奏の記録を残して欲しい演奏家です。
 彼女はラフマニノフやリストを多く残していますが、ぜひベートーヴェンやブラームスも残して欲しいです。ベートーヴェンのソナタ全集など希望したいところです。

 

 ブラームスのピアノ協奏曲第1番が好きなら、ぜひこの2台のピアノ盤を聴いてみてください。そして、ラフマニノフも・・・・・・。

 

 3週間ほど前の1月26日、わたしは69歳になりました。あと1年で70歳ということです。

 68歳はいろいろな変化があった年でした。嬉しいこと、辛いこと、楽しいこと、悲しいこと、すべてたくさんあった年となりました。

 「いつかはハーレー」と願って10年ほど前に買ったハーレーを売ったり、庭に大型の倉庫を建てたり、エフ-スタイルスクールの後継者を決めたり、いくつかの環境や状況が変わりました。
 自分なりにいちばん思い切ったのは、コロナで丸々3年間出場していなかった水泳の競技会に復帰したことです。3年間まったく泳いでいなかったわけではありませんが、ハードな練習をしていなかったことも事実です。
 大会に向けて練習しても、なかなかタイムが伸びず、試行錯誤を繰り返した年となりました。幸運にも実力に伴わない素晴らしい結果・・・・ジャパンマスターズ50mバタフライ優勝・・・・を達成できましたが、今年も泳げる環境にあれば、昨年以上にしっかり泳いで実力をアップさせたいです。
 68歳の1年間で、およそ100日スキーレッスンをし(滑ったのは120日以上 / 夏場のレッスンは約30日をこれにプラス)、110日ウェイトトレーニングをやり、90日泳いだ年になりました。

 

 前にも書いたのですが、26歳でヒザの手術をした時、30歳までスキーを続けられるとは思っていませんでした。怪我は靱帯損傷と半月板損傷でしたが、1981年の当時、選手復帰は無理と言われた怪我だったからです。

 それがさまざまな人生の紆余曲折から、ずっとずっと滑り続け、今でも職業として滑り続けています。そして嬉しいことにスキーを愛する気持ちや、スキーが楽しいと感じる心が、今も続いています。
 今日も昨日も朝一番、レッスン前にガチガチに凍った飯森のA級モーグルコースを滑りました。ほんとうに難しいコブなのですが、45年前と同じような喜びを感じることができます。
 また向かい角を真剣に考えるようになり、大回りターンが人生で最高に良くなってもいます。65歳までの自分の大回りを思い出すと、そして映像に残っている昔の大回りを見ると、恥ずかしくて仕方がないほどです。

 90歳に近づいてなお現役スキーインストラクターの平沢文雄先生が、数年前こんなことを言われました。 

 「生きがいとは希望であり可能性」
 幸いにもスキーという生き甲斐を与えられたわたしも、希望と可能性を感じています。

 「スキーは今だにわからないけど、毎年上手になっている」
 先ほど書きましたように、迎え角を考えるようになった整地の大回りは人生最高の状態です。

 自分なりに、少し目標らしいものを考えてみました。
 いくつかあるのですが、まず2回宙返りをウォーターでも良いから75歳くらいまではできる状態でいたいです。
 1回宙返りは雪上で、とりあえず80歳までは飛んでいたいですね。
 アグレッシブなコブの滑りもバックフリップと共に続けたいです。

 今年、パワーリフティング世界チャンピオン・沖浦先生とコラボキャンプをやります。ここでは「若々しくあり続けるための秘訣と、同時に90歳を超えても楽しんで滑れる体作り」を提唱させていただきます。
 やはり、年齢が増すと筋力低下が顕著になります。それを防ぐためには沖浦先生が提唱されている短時間の負荷を用いたトレーニングが最高だと、わたしには信じられます。

 どうせなら90歳ではなく・・・・すでに三浦敬三先生や平沢文雄先生が実現されていらっしゃるので・・・・いっそのこと100歳を目標にしても良いのではないか、とも思いはじめました。そのために平沢先生のご子息、克宗先生にご協力いただき、新しいテクニックも模索しております。
 平沢文雄先生や克宗先生のテクニックは、老化による筋力低下を考えると、ほんとうに参考になります。お二人から、たくさんのことを教えていただき、それをうまく取り入れたいと願っています。
 わたしの親友が音頭を取るキャンプ『マエストロ、わたしをスキーに連れてって』では、今シーズン克宗先生をゲストコーチとしてお招きしております。ご興味のあられる方は、ぜひご参加下さい。

 ・・・・ということで、わたし自身はもう少しアグレッシブに滑り続けると同時に、100歳でも楽しく滑れるテクニックを考察していきます。

 ご一緒してくださる方々、レッスンをご受講いただけるみなさま、69歳の角皆優人も、どうかよろしくお願い致します。

 

<映像は68歳と3ヶ月の時の滑り>

 

 もうすぐ2024年になります。
 正直に言って、現在わたしと同じ70歳前後のみなさんは、ほんとうに凄い時代を生きることになりそうです。・・・・と言ってもウクライナやイスラエル戦争のことではありません。
 シンギュラリティのことです。

 

 わたしが生まれた1955年1月、わたしの家には冷蔵庫も洗濯機も、テレビもラジオも電話もありませんでした。周りに有線電話のある家があったかもしれませんが、よく覚えていません。

 それが1964年、東京オリンピックがおこなわれた年になると、自宅にはカラーテレビがあり、冷蔵庫や洗濯機、蓄音機、ガスコンロなどが揃っていました。移動手段も自転車から自家用車に代わっていました。
 

 そんな時代から50年が経ち、2024年を目前にシンギュラリティを語ってみようと思います。


 わたしが「シンギュラリティ」という言葉を知ったのは、高校の同級生である下村博文君(現自民党政調会長・元文部科学大臣)の著書からです。
 彼の比較的新しい著書『志の力』には、「シンギュラリティ時代の成功を決める新・思考法」という副題まで付けられています。
 

 


 「シンギュラリティ」は「特異点」を示す言葉で、わたしなりに解釈して書くと、「AIが進化して人間の能力を上回ることで、さまざまな大変化が起きる転換点」を指すことになります。
 人工知能研究の権威者たちは、これがおよそ2045年に起こるとしていますが、予測は加速度的に早まっているようです。

 

 科学者たちの予測では、現在人間がこなしている仕事の少なくとも30パーセント、多ければ60パーセント以上が、機械によってなされるとされます。
 失われる仕事の代表として、保険の査定員や証券会社員や不動産ブローカー、レジ担当者、バスやタクシーの運転手などがあげられています。またきっと残るであろうとされる職業に、リクレーション療法士、社会福祉士、カウンセラーなどがあげられています。

 つまり、わたしの同世代人は少し長生きすれば「まったく何もない時代」から「人間が必要とされない時代」までを生きることになるのです。
 今の若者からみたなら、冷蔵庫や洗濯機がない時代など想像もできないでしょう。洗濯板を使って素手で服を洗っている風景など、想像もできないでしょう。
 家に固定電話すらなく電報で情報を伝えた時代を生きた人と、今の「携帯電話時代」を生きる人では、感性も思考の組み立て方法も、大きく異なったものになっているはずです。

 「シンギュラリティ」を肯定的に捉えるか、それとも否定的に捉えるか?
 それは、その方の思想や方向性に依って変わるでしょう。
 現在の資本主義を信奉する人からシンギュラリティを考えるなら、企業は利潤を上げるためにたくさんの人間をカットして、多くの仕事が機械に奪われることになります。またわたしのように「ベーシックインカム」推進派で生活を「スローダウンさせる」派であれば、人間は今よりずっと働かなくとも生きていけるようになるはずですから、とても嬉しい時代になるでしょう。

 国連のグテーレス事務総長は「地球温暖化」ではなく、「地球沸騰化」という言葉を使って、全世界に警告を発しています。それにはまず経済活動を緩める必要があります。できるだけ物資の生産を押さえ、物や人間を移動させず、生活全体をスローダウンする必要があります。夜になれば電気を切って眠り、太陽の自然光のなかで動く生活に切り換える必要があります。単純に全世界が江戸時代に戻れば、温暖化問題は解決するでしょう。

 地球の未来を考えた時、昔は忙しく働くことが美徳でしたが、今はナマケモノになることが美徳であるとも信じられます。

 

 ただし、これはわたしのように「ベーシックインカム」と「現代貨幣理論」を推す人にとってのことで、まだまだ少数派です。実権を握っているのは、あくまでも「経済優先主義者」たちですので、これからどんどん辛い時代になっていくのかもしれません。

 世界が早く「ナマケモノ」方向に舵を切ってくれることを祈りながら、スキーシーズンの最終準備をさせていただきます。

 あれは高校一年のことでした。
 数学の授業中に突然、「ああ、こんなことをしているとダメになる!」・・・・そんな強烈な感情に襲われたのです。感情の大波に心がさらわれるようでした。


 当時わたしは十五歳で、この世の現実など何もわかっていません。しかし、受けていた教育に、巨大な疑問符を感じたのです。学校教育に疑問を感じるなどということは「自分だけがおかしいからに違いない」と信じられ、強い疎外感も感じました。ところがしばらくすると、そんな教育に対する疑問符を、わたしだけでなく、尊敬する友人も感じていることを知ったのです。

 親友が同じような疑問を感じていることを知らなければ、わたしは引きこもりになるか、不良になるか、自殺するかしたように思えます。

 あの時から、教育はわたしにとって大きなテーマとなりました。

 大人と呼ばれる年齢になって、河合隼雄さんという教育者の書籍に出会いました。むさぼるように、片っ端から彼の本を読んできました。河合隼雄さんの思想が、青年期から中年期に到るわたしの羅針盤となっていたのかもしれません。
 

 高校から大学を中退するまで、わたしが感じたことは以下の文章にまとめられます。
「日本の教育システムは、学習者に適合性と画一性を要求し、結果的に、個人特に子供から主体性を奪い、人間を潰しています」

 上の文章そのものを感じたのです。
 この文章は今回、日下和信先生に送っていただいた『文科省はイジメを解決できるか?』の97ページに書かれています。五十数年の時を隔てて、日下先生とわたしはまったく同じことを感じたのです。

 

 

 中年と呼ばれる時代に、わたしはアメリカが日本に施した「War Guilt Information Program」を知りました。それによって、日本の教育の奥底にある深い闇を見つけてしまったのです。
 これは終戦後、戦勝国アメリカが日本国民におこなった洗脳教育です。日本人が二度と自国を誇りに思ったり、団結したり、戦勝国に刃向かったりできないようにするために組み立てられた教育でした。
 戦前のアメリカ日系人は、自分の息子や娘たちを日本に送り、祖国で教育を受けさせました。しかし、戦後になるとパタッと日本に送ることをしなくなります。彼らはこの「War Guilt Information Program」を知っていたのです。

 またこのプログラムを実行するうえで、アメリカという国はルース・ベネディクトやヘレン・ミアーズという素晴らしい学者たちをも動員しています。
 ルース・ベネディクトは『菊と刀』のなかで、日本人の核心に触れています。
 ヘレン・ミアーズに到っては『アメリカの鏡・日本』のなかで、戦犯は日本ではなくアメリカであるとも解釈される文章を残しました。これにより『アメリカの鏡・日本』はマッカーサーによって邦訳禁止とされた・・・・現代の焚書となった・・・・ほどです。

 

 この『文科省はイジメを解決できるか?』でも、「War Guilt Information Program」は取り上げられ、そのプログラムは今現在も続いているとされます。

 「War Guilt Information Program」こそ、日本の教科書で取り上げられるべき歴史的事実だとわたしには信じられてなりません。

 『文科省はイジメを解決できるか?』は2021年に発表されたばかり。すべてのみなさまにお読みいただきたい本です。

 最後に本文(98ページ)から次の文章を引用させていただき、今回のブログを閉じます。
「残念ながら、日本の教室では、原動力を呼び起こすことになる、最も重要な質問が、実際に発せられることはなく、議論もされていません。この現状は、上記の『教育の目的は何か」以前の問題です。
 『なぜ私たちはここにいるのか』、あるいは『なぜ私たちは生まれたのか』ということです。さらに『私たちの人生の目的は何か?』の問いでもあります。
 これらは非常に重要な質問であり、一生かけて考えても答えが見つからない人もいれば、早い段階でわかる人もいます。良い教育、特に崇高な信仰、哲学、ディベートを含む教育は、生徒自身が自分が何者であるか、自分の人生の目的は何か、そして社会への貢献は何かということをより強く認識する助けとなります。特に自己存在感と健全な家族や地域の社会的関係と組み合わされた場合にはなおさらであります。
 このような質問にさらされた生徒たちは、より積極的に答えを求めようとするでしょう。その答えは人によって異なりますが、それは良いことです。
 つまり、教育とは、私たちが皆、ユニークであり、能力を持ち、存在価値があり、他人や国内外の社会に対して付加価値を提供できることを認識させることに焦点を当てるべきなのです」
 

 今年の秋は短く感じた。
 庭のモミジが紅葉したと思ったら、あっというまに落葉してしまった。ところが、なかなか本格的な冬にならず、秋と冬の間に空白の時間が流れている。
 

 こんな秋から冬に移る季節、必ず聴きたくなる曲がある。
 それはブラームスの交響曲第四番である。
 きっと同じ想いのクラシック愛好家も多いのではないだろうか。
 

 この曲を初めて聴いたのは高校一年の時。覚えるほどたくさん聴いたのは、高校三年の時だった。一人の友人がこの曲を愛好し、強制的に何度も聴かされたと言ってもいい。彼の第一の推薦盤はフルトヴェングラーで、彼の口癖は「ブラームス革命」だった。

 

 大学時代のわたしはブラームスに惹かれなかった。それどころか嫌っていたと言ってもいい。しかしスキーで大怪我をし、長く苦しい入院期間を経てみると、強烈にブラームスに共感するようになった。
 この時初めて、ブラームスの挫折や痛みを理解した・・・・と思った。

 

 それ以来、毎年秋から冬に移り変わる時期、この曲を聴きたくなる。
 数回聴くだけの年もあれば、怪我から回復する年や今年なら、何十回も耳を傾けている。
 こうしてもう四十年以上をすごしてきたのだから合計すると凄い回数になる。それにもかかわらず毎回新しい感動を与えてくれる。名曲中の名曲である。
 

 わたしが長い間愛好してきたのは以下の二枚。
 上がベーム&ウィーンフィル、下がワルター&コロンビアである。

 

 

 どちらも決定盤と言える名演奏だ。
 もちろんカラヤンも素晴らしいのだが、何種類かある彼の演奏は、どれも少しスマートすぎる気がする。起承転結が明確すぎると表現したら良いのだろうか。
 この曲にはもっと「侘寂」といった感覚や「ひなびた情感」が欲しいのだ・・・・わたしとしては。

 

 今秋、特別に惹きつけられたCDがある。それがこちら。

 

 

 有名なグラモフォン盤ではなく、EMI盤でオーケストラはシカゴ響である。
 ベームほどひなびておらず、ワルターほど侘寂はないのだけれど、深い情感のなかに「悲しみ」と「儚さ」が溢れている。

 名曲には、まだまだこんな発見がある。それが嬉しくて堪らない。
 もしみなさまに推薦盤がありましたら、ぜひお教えください。
 まだまだ聴き尽くせないブラームスの四番ですから。
 

 もしも聴いたことのない方がいらっしゃいましたら、上のどれかをお聴き下さい。ゆったりとした気持ちで、先入観を持たず。曲の流れを理解するのに、何度かお聴き頂けましたら幸いです。

 上記のCDの他に、愛好する演奏にザンデルリンク(ドレスデン)やプレヴィン、ギーレンなどもあることを記しておきます。