シンギュラリティ | トナカイの独り言

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独り言です。トナカイの…。

 もうすぐ2024年になります。
 正直に言って、現在わたしと同じ70歳前後のみなさんは、ほんとうに凄い時代を生きることになりそうです。・・・・と言ってもウクライナやイスラエル戦争のことではありません。
 シンギュラリティのことです。

 

 わたしが生まれた1955年1月、わたしの家には冷蔵庫も洗濯機も、ラジオも電話もありませんでした。周りに有線電話のある家があったかもしれませんが、よく覚えていません。

 それが1964年、東京オリンピックがおこなわれた年になると、自宅にはカラーテレビがあり、冷蔵庫や洗濯機、蓄音機、ガスコンロなどが揃っていました。移動手段も自転車から自家用車に代わっていました。
 

 そんな時代から50年が経ち、2024年を目前にシンギュラリティを語ってみようと思います。


 わたしが「シンギュラリティ」という言葉を知ったのは、高校の同級生である下村博文君(現自民党政調会長・元文部科学大臣)の著書からです。
 彼の比較的新しい著書『志の力』には、「シンギュラリティ時代の成功を決める新・思考法」という副題まで付けられています。
 

 


 「シンギュラリティ」は「特異点」を示す言葉で、わたしなりに解釈して書くと、「AIが進化して人間の能力を上回ることで、さまざまな大変化が起きる転換点」を指すことになります。
 人工知能研究の権威者たちは、これがおよそ2045年に起こるとしていますが、予測は加速度的に早まっているようです。

 

 科学者たちの予測では、現在人間がこなしている仕事の少なくとも30パーセント、多ければ60パーセント以上が、機械によってなされるとされます。
 失われる仕事の代表として、保険の査定員や証券会社員や不動産ブローカー、レジ担当者、バスやタクシーの運転手などがあげられています。またきっと残るであろうとされる職業に、リクレーション療法士、社会福祉士、カウンセラーなどがあげられています。

 つまり、わたしの同世代人は少し長生きすれば「まったく何もない時代」から「人間が必要とされない時代」までを生きることになるのです。
 今の若者からみたなら、冷蔵庫や洗濯機がない時代など想像もできないでしょう。洗濯板を使って素手で服を洗っている風景など、想像もできないでしょう。
 家に固定電話すらなく電報で情報を伝えた時代を生きた人と、今の「携帯電話時代」を生きる人では、感性も思考の組み立て方法も、大きく異なったものになっているはずです。

 「シンギュラリティ」を肯定的に捉えるか、それとも否定的に捉えるか?
 それは、その方の思想や方向性に依って変わるでしょう。
 現在の資本主義を信奉する人からシンギュラリティを考えるなら、企業は利潤を上げるためにたくさんの人間をカットして、多くの仕事が機械に奪われることになります。またわたしのように「ベーシックインカム」推進派で生活を「スローダウンさせる」派であれば、人間は今よりずっと働かなくとも生きていけるようになるはずですから、とても嬉しい時代になるでしょう。

 国連のグテーレス事務総長は「地球温暖化」ではなく、「地球沸騰化」という言葉を使って、全世界に警告を発しています。それにはまず経済活動を緩める必要があります。できるだけ物資の生産を押さえ、物や人間を移動させず、生活全体をスローダウンする必要があります。夜になれば電気を切って眠り、太陽の自然光のなかで動く生活に切り換える必要があります。単純に全世界が江戸時代に戻れば、温暖化問題は解決するでしょう。

 地球の未来を考えた時、昔は忙しく働くことが美徳でしたが、今はナマケモノになることが美徳であるとも信じられます。

 

 ただし、これはわたしのように「ベーシックインカム」と「現代貨幣理論」を推す人にとってのことで、まだまだ少数派です。実権を握っているのは、あくまでも「経済優先主義者」たちですので、これからどんどん辛い時代になっていくのかもしれません。

 世界が早く「ナマケモノ」方向に舵を切ってくれることを祈りながら、スキーシーズンの最終準備をさせていただきます。